「出来ちゃった」



エリダナの蒼い蒼い空の下の事務所の屋上の裏の天井の下。

そこにいる俺の呟きに、ギギナが珍しくも興味を持ったような顔をしてこちらを見た。


むむっ、これはギギナで遊べるチャンスの予感!?









 Would you like a child ?   ― 前編 ―









拝啓


えー、本日は大変お日柄も良く快晴万全万々歳。
皆様は如何お過ごしでしょうか今日この頃、我がアシュレイ・ブフ&ソレル咒式事務所は 赤字赤字の火の車でございます。

そしてこの度は。
当咒式事務所の経理担当ガユス・レヴィナ・ソレル氏、この人のアイデンティティ保持保護保管 の三拍子の為に、為だけに。
皆様方にはコレだけは胸に刻み込んで頂きたく存じ上げます。


俺はれっきとした男で決して断じて絶対確実実しやかに、 世のお姉さん方と同じ生体機能というか器官、その他機能はこれっぽっちも持っていないし持つ予定 も無いのでつまりそれはどう謀り間違っても、ヒロイン等というポストには収まるわけが無いこ とは前世からの決まりで有り得ないんだよ、ドラッケン!!


そこはくれぐれも誤解無きようお願い申し上げます所存に候。

それでは御用の際は是非とも我が事務所まで。
新カルナ駅を出てすぐに右折、アシュレイ・ブフ&ソレル咒式事務所。
周辺の治安はまぁ置いておいて、笑顔微笑冷笑揃った親切な所員たちが誠心誠意、お金様…いやいや 違ったお客様の問題解決に取り組みます。


敬具







こんな具合で書き上げた見知らぬ誰かへの案内状を内なる世界でポストに投函。
俺は俺という人格に一幕張って、精神崩壊からの自己防衛策を築いた。

主にこれからの為に。


「ギギナ、出来たんだ」


要領を得ない俺の言葉に、喋らなければ無邪気な天使のよう…だったかもしれない表情を していたギギナは直ぐに興味を失ったようだ。
けれど律儀にも返事はやって来た。


「なんだ、貴様の下らないループ思考に浸る準備でも出来たか?」


煩い、と。
言葉で口に出さずとも口調で示し鼻で笑う。
人類共通語で補足をするなら、「ヒルルカとの話の邪魔をするな」。

だが俺といえば対話(会話ではない)開始からの神妙な面持ちを崩さず再三、同じ言葉を繰り返す。
今日の俺は普段みたいに謙虚じゃないので諄かろうと繰り返す。


「だから、出来たんだ」

「だから何がだ」


愛娘との団欒に邪魔者が介入したので、お父さんは相当ご立腹だ。
何だお前は、数年振りに娘とコミュニケーションが取れた父親か。
当の娘は物言わぬ椅子だが。

だが俺は構わず続ける。


「…子供が」


言われた言葉を一度では飲み込めず何度か反芻したギギナは、しかしはっと名案閃いたらしく 喜色を滲ませ満面の笑顔で振り向いた。


「そうか、貴様も遂に新しい家具を迎え入れたか。 して、その貴様の子はどこにいる?」


子供=家具


しかし心配には及ばない、これは想定の範囲内。
ギギナ周辺機器に「脳味噌」が無いのは周知の事実。


「………俺の、」


そして脊髄反射で間違った方程式を導いた生物を少しの同情を含んだ目で見つめ、 俺は言い切った。





「俺の―――…、腹の中に、いる」





この世に産まれて約二回り、ここにきて自分の新たなる才能を発掘。

俺、演技派俳優としてやっていけるかもしれない。

家具以外のことでは決して動じないギギナが俺の衝撃告白に半石像化した時点で どこの劇団、事務所の入会面談オーディションにも落ちる気がしない。
攻性咒式士からの転職先は予備校講師でなくて俳優希望。
キャッチフレーズは、ラグマノフ再来。
超大物女優とのベッドシーンも忘れずに。


「……貴様、謀るのも大概にしろ」


ステータス異常から漸く回復したらしい剣舞士が発する声はどこか疲労が滲んでいた。
そんな顔されたら更に陥れてやりたくなるのが真っ当人間の精神構造。


「嘘じゃない」

「ほざけ。紛いものとはいえ男である貴様が子など宿すか」


お、ギギナ鋭い。
やっとこさお前も小等学校生程度の頭脳が備わってきたか。
お目出度いね、今夜は赤飯。

しかし今日の俺は演技派俳優。
この程度のお遊びで退いてはやらない。


「何だお前知らないのか?最近は男も赤ん坊を産むんだぞ?」


産むわけが無い。

しかし今の台詞に俺が誠心誠意込めた「どうして信じてくれないの」的な感情を的確に読み取った ギギナの反応は大きい。
う、と息を呑んだのを確認。
よーし、もう一押し!


「…俺の言うこと……信じられない…?」


今にも泣き出しそうな潤んだ瞳に上目遣い、という常套演技にオプションでプラスされた俺と ギギナの間の微妙な距離と応接室を満たす悲痛な空気。

普段のギギナなら俺の渾身の上目遣いにも、じっとこちらに視線を釘付けたまま微動だにしない。 だが今のヤツはヤツじゃない。
信じてもらえないが為に今にも泣き出しそうな俺を見て、 身に覚えの有り過ぎるギギナはあたふたと分かり易いほどに動揺し出した。


「…ガ、ガユスッ!?」


そして遂に泣き出した俺にギギナはいよいよ本格的に狼狽える。
や、振りだけどね?嘘泣き。

有り得ない、と思いつつもいつもより長く、尚且つ、泣き出した(振りをする)俺に ギギナはいよいよ現実が見えなくなってきたらしい。
や、現実が見えてないのはいつもだったか。失礼。


「…い、や…ガユス…しかしだな…」


鋼の声が浮いている。上擦っている。
男女問わず、万人を魅了して止まないあの声が、俺の一挙一動が為に乱れている。
……あ、今すっごい優越感。

ギギナの女との音速での別れっぷりからして、「子供が出来たの、あなたの子よ」 などと言い出されたことは無いに違いない。俺だって無い。
そこに無敵に無愛想、朴念仁、無頼を気取った恋愛経験皆無の戦闘民族ドラッケン、ときたもんだ。
第二子(もしかしたら既に第三、四子くらいかもしれない)誕生、ヒルルカに妹、 ないし弟が出来ました!
ギギナ、人生の節目に大ピンチ!!

や、その節目とやらは全然全く嘘の出鱈目ですがね?


揚げ句、俺の頭でも撫でようとしたのだろう。
伸びたギギナの白い手を拒否するように身体を捩れば、 行き場を失くした腕がおろおろと宙を彷徨う。

あぁ、どうせなら動画撮影機ビデオカメラを仕掛けとくんだった!
いかがわしいビデオなどよりもっと高価で取引出来た筈なのに!!


「…っ…何で…」


そして調子付いた俺は止まらない。
いつもこいつにいいように遇われているんだ、少しくらいいいだろう。
今日こそ今こそこの瞬間こそ復讐の時なり。


「…嘘とか、言う…わけ…?」


在りもしない知らせにあたふたしているギギナが新鮮でいい。
面白い素晴らしい大声出して笑いたい。

そして俺の天才的演技もクライマックスを迎える。


「…そりゃあお前は毎晩やりたいようにヤって喘がせて中出して終わりかもしれないけどさ。 ……やられる俺にはそっから続きがあるんだぞ?」


……言って己の男としての生態に疑問を持ってしまったが、そこは敢えて考えないことにする。
俺は何も気付かなかった、気付かなかった、気付かなかった。
今の俺は交際相手に孕まされてしまいその事実を勇気を持って打ち明ける健気な少女―――は マズいから女役。
役に成り切れ、俺!

しかし忍び寄る笑いは止められない。
だってギギナが可笑しいんですもの!!

腹筋の痙攣からくる体の震えがいい感じに誤解を招く。真実味を生む。
演技も笑いも今が最高潮ですよ!!




そしてしばらくの沈黙を破ったのはギギナ。





「…本当に子がいるのか?」





いるわけがない。

しかし本当に何度も言うが、今の俺は攻性咒式士でも予備校講師でもなくラグマノフの生まれ変わり。
俯いたまま頷くだけだ。
無言のそれこそ下手な言葉よりも本当っぽい。

そして狙い通り、野性的に勘がいいはずのこの男もここで遂に平常心を失ったらしい。
最初から持ってなかったのか、それとも俺の演技力の賜物か。
どちらにしろこの世に完璧な人間なんていないんですね、神様。

さぁ、次はどう来る。
認知か否認かそれともドラッケン式第三の選択か。
こちとら愉快すぎて腹筋が捩れそうだっての。


「……そうか」


しかし予想外。
ギギナからはどうとでも取れそうな短い一言だけ。

反射的に顔を上げればすれ違いでギギナが屈んだ。
そして白磁の指が服の上からそっと俺の下腹部をなぞる。



「そうか」



一瞬、本当に子供がいても良かったかも、って思ってしまった。

ギギナがあんまり俺の腹に顔を近づけるもんだから、ギギナがどんな表情をしているのかは見えない。
だから俺に届いたのは短いその一言だけだったけど、それだけが確かに温かくて心地よかったから。



それと同時に少しの虚しさも。



「…ギギナ?」



―――女だったら良かったかな、なんて。






妙にゆったりとした時間が流れる中。
それを裂くように事務所の呼び鈴が鳴った。







何を思ったかギャグ路線。
ガユス想像妊娠。ギギナは素直なんだよ!

05.10.28  わたぐも