訪問を告げる鈴が止むことなく事務所内に響いていた。









 Would you like a child ?   ― 後編 ―









「……依頼かな?」


ならば応答すればよいのだが、この場を動くことに少し名残惜しさを感じた。
しかし仕事は受けなくてはならない。
今月だってローンはある。

小さく溜息を吐いて玄関へ向かう。
だがその途中、ギギナに肩を掴まれ、「ここにいろ」と言われた。
珍しくも自ら応答に向かうギギナに感心しつつも、しかしそのせいで依頼人が惨殺死体に物理的変化を遂げたら どうしようと不安になり、俺は慌ててギギナの後を追った。


「あ、ガユガユ発見!」

「なんだよ、やっぱりガユスいんじゃん」


しかし玄関にいたのは依頼人などではなく寧ろ敵、某咒式事務所の魔法少女とチ ンピラアルリアン。そしてその二人に「嘘つき」と罵られるギギナ。
全く以て嬉しくない訪問者だった。


「……なにしに来たんだよ、お前ら」


うんざりだという口調を隠しもしない俺だが、奴らは聞こえていないのか無視なのか気にすることなく続けてくれた。


「皆で酒盛りするぴょん」

「こんな真昼間からか?」


ジャベイラの後ろに広がる清々しいまでの蒼穹を顎で指すが、奴は動じない。


「まぁ、ガユスッ!昼は酒を飲まないなんて、貴方一体何時からそんな真っ当人間になったの!?」

「お前にだけは言われたくないな、それ」

「そんなこと言うでねぇ!ここは是非、イギ坊の為に一肌脱いでくだんなせぇ!」

「なっ…、ジャベイラッ!!」

「あ、肌より服が先ね?」


最後の発言は意識的に削除する。
というか、イーギーの為って何だ?

だがそんな些細な疑問も応接室での出来事も視界の端に映ったもののせいで、俺の脳内からワンブレスで吹き飛んだ。


「……もしかしてそれ、お前らの奢り?」

「お、おう!」


ぎこちなくイーギーが肯定する。

こいつら(主にイーギー)が抱える大荷物はどうやら全て酒盛りの準備らしい。
いかにも今買ってきました風なビニル製の買い物袋いっぱいに詰まった摘みにケース単位の缶麦酒、 そして高級そうな酒瓶。
これら全てがこの二人の奢り、つまり酒がタダで飲めるこの機会。
まぁ差し詰め、ここを宴会場に献上しろってことだろうけど。

以上を踏まえて導かれる論理的結論。


「よし入」

「却下だ」


言い終わるよりも速く被せられた鋼の声。
そして一升瓶を受け取ろうとした俺の腕は虚しくも空を切り、 お酒様はギギナの白磁の手からイーギーの元に突き返される。
なんだ、いつもと役割が逆だぞ。


「おいギギナ、何のつもりだ」


むっとして問えば、咎めるような目で見られた。
まるで知らない人からお菓子を貰った子供を窘めるようなそれに居心地が悪くなる。


「……な、なんだよ」

「事を終えるまで貴様は禁酒だ」

「何でお前にそんなことっ…!…ん?事ってなんだ?」


なんかあったっけ?


心当たりが無く首を傾げる俺にジャベイラが歓声を上げ、イーギーが鼻血を噴出した。
なんだ、摘みのナッツ類の食いすぎか?
殺人現場になるから床には垂れ流すなよ。
あとギギナ、そうイーギーを睨むんじゃない。
お酒様が逃げていくだろう。
何でそんな険悪なのかは知らないが。


しかしそんなのは大事の前の小事、些細な事であった。
何故なら、次のギギナの台詞が絶叫ものだったからだ。


「決まっているだろう、貴様が子を産み落と」

「ぎゃああぁぁぁ!!!」


バチン!

平手打ちのような音を立てて俺はギギナの口に蓋をする。
絶叫もの、というか本当に絶叫した。

公衆の面前で何言ってくれやがる!?


「おっ、おっ、おまっ…!」

「アルコホルは子に思わしくない影響を与えるであろう?」


口を塞いでいた俺の手をギギナは壊れ物を扱うような丁寧な動作で外す。

投げ掛けられる銀の視線は柔らかい。
俺の手を包む白い手が暖かい。
だが俺の背には悪寒が走る。
冷や汗が流れる。
血の気が引く。


もしかしてアレか?
さっきの続きか?
もしかしなくてもそうか、そうなのか?

いやギギナさん、仰ることはご尤もなんですが。
でもアレはただギギナで遊んでいただけで本当は子供なんか出来てないし。
だから酒飲んでも全然悪影響なんか無いし。
待ってそれよりここでそんなこと言ったら「俺たちそういうい関係なんです」って 公言しているようなものじゃないか!!

というか、本当に信じてたんですかアレを!?


頬が引き攣る俺。
にこやかな表情のギギナ。
そして時が巻き戻されることは無く、事態が好転することもない。


「子どもって何だよ?奥に誰かいんのか?」

「むむ、ガユっちがお母さんの予感!!ズバリ、パパはギギナぴょん!?」

「そうだ」

「何だとッ!?」


寧ろ悪化。

ほら見ろ、言わんこっちゃ無い!
馬鹿騒ぎ大好きな奴らが好き勝手妄想し出したじゃないか!!
ああもう、タダ酒が!!


「ギギナ、お前もう引っ込め!舞台、いやいっそこの世から捌けろ!」

「子どもって何だよ!?」

「男の子!?女の子!?」

「私としては娘が良いな。だが息子も悪く無い」

「ギギナ、てめえこんな時ばかりベラベラと!!」

「それは双子なら一石二鳥ね」

「成る程」

「子どもいんの!?本当にいんの!?」

「知るかっ!!」

「やぁーん、ガユっちとギギたんの子どもなら絶対確実、綺麗で可愛いに決まってるじゃない!!」

「オイ、暴漢ドラッケンッ!取り消しを賭けて表に出ろッ!!」

「アルリアン人の分際でドラッケン族の私に勝てる気でいるのか、愚かしい」

「きゃあ、略奪愛よっ!」

「お前ら出てけッ!!」


未だぎゃあぎゃあと食い下がる愉しそうな多重人格者と、今にも泣き出しそうな長耳族を玄関から無理矢理閉め出し 、俺は乱暴に扉を閉めた。
外では大仰な歓喜嘆きが阿鼻叫喚、追い縋る様に扉を叩く音は咒式錠を何重にも掛けることで完全に視界の奥底に閉じ込めた。
つまり完全無視。

そして俺はタダ酒の機会を大きな誤解の土産付きでさよならしてくれやがった元凶の男を睨み上げる。


「ギギナ!お前なんてことしてくれたんだよッ!?」

「私は父親として当然の権利を主張したまでだ」

「………ちち、おや?」


え、何?
俺こんなに怒ってんのにその話に戻るの?
そこに戻しちゃうの??

先程までの憤慨の勢いを失った俺にはギギナのご機嫌な笑顔が眩しい。
てか、え、何なの、そのイイ顔は。



「生まれてくる我が子に何かあっては一大事であろう?」



阿呆みたいにあんぐりと口を開ける俺の眼前で、無愛想が標準装備の筈だったドラッケンは 締まり無く弛んだ表情でベラベラと喋り出した。


「その腹からするとまだ一ヶ月程か」

「…え」

「初期の間の情事は危険だからな。夜は別の方法を考えるとしよう」

「…ま」

「掛かり付けの医者はいるのか?」

「…や」

「貴様は食が細いからな。今日からは普段の倍食べるよう心掛けろ」

「…な」

「お目出度だからな、今夜は赤飯か」



―――神様、コレハ誰デスカ?


さっきの仕返し?
それとも実は俺以上の演技力の持ち主だったとか?

今俺の目の前でリアルタイムで物凄い親馬鹿っぷりを披露してるんだけど、 ああコレがギギナの素だったらどうしよう。
俺の精神が崩壊するに決まってるだろうが。
ダメージはさっきの公衆の場での妊娠発言の比ではない。
ほら今、「塩分の摂り過ぎは禁物だぞ?」とか言ったし。
知るかそんなもん、耳から鼻だ!


「ま、待てギギナ!」

「どうしたガユス。中の子が動いたか?」

「動くか!ギギナ良く聞け、そうじゃないんだ」

「何がだ」

「子どもってのは違うんだ」


そして身振り手振りを交えた俺の必死の告白にギギナは少し思案した後、 「嗚呼、それならそうと早く言えばよいものを」 とか言って納得した。

嗚呼、やっとわかってくれた。
ジェスチャー、ボディランゲージは異種間の隔たり、厚き言語の壁を越えた。偉大だ。

そして大したお咎めを受けなかったことに俺は胸を撫で下ろ―――




「まだ精密検査をしていないというわけか」




………ん?セイミツケンサ?



「え?いや、そうじゃないぞギギナ?」


検査も何も必要ないんだぞ?
だってそんな証明なんかしなくても結論は既にわかってるだろ、生物学的に。


「急いては事を仕損じる、と言うが、善は急げ、とも言う」

「ギギナ、お願いだから俺の話聞いて?」

「今からでも産科に行」

「ぎゃあああぁぁぁぁ!!!」


また盛大に平手打ちの音が響いた。

皆まで言わせてはならない。
何故なら俺の精神が崩壊するからだ。










その後、俺を産婦人科に連れて行こうとするギギナ(「“婦人”でいいのか?」とか言っていたが、 悩むところはそこじゃない)を必死に引き止めて。
何を言ってもいいように誤解しやがる(異種間には共通言語が無いからだ 、きっと)ドラッケンに俺は縋って泣きながら謝って事情を説明し。


「…そうか」


と言った時のギギナの無感情具合に怯え。


「それは済まなかったな、ガユス」


という謝罪の言葉の意味がわからず。
きょとんとギギナを見上げればそっと頬に手を添えられて。


「あれが“子が欲しい”という遠まわしな訴えであったと理解してやれなくて」


などと言い出すし。

そしてその場で半石像化した俺をソファに放り込んだギギナは止めとばかりにえらく優しげな声で。





「夜毎、貴様に似た子を宿すまで可愛がってやろう?」





―――嗚呼、目が微笑んでないですよ、ギギナさん。






明日の俺。
次いで明後日の俺。
そして明々後日、寧ろ一生分の俺に危険信号。






孕む以前に、骨身も残りそうに無い。





ガユスとギギナの子どもなら絶対可愛いと思ったですとも!

皆様、一万回もご訪問有難うございました。
これからもかぼちゃひつじを覗いてやっていただければ幸いです。


05.10.28  わたぐも