『お礼』
「……疲れた…」
「貴様お得意の弁論術を披露できる唯一の場から帰還か」
「事務所倒産の危機を回避すべく生徒相手に頭脳労働してきた俺に
“ありがとう”の一言も言えないの、ギギナ?」
「私からの礼が欲しいと?」
「うん」
「貴様が欲しいのはそんなものではないだろうが」
「…この手はなんですか、ギギナさん?」
「知りたいか」
「むしろ不思議な理由で死んで欲しい」
「そんな不確定要素では私は死なん。だが礼は言ってやろう、後ほど」
「…………それ、俺が聞けない可能性高すぎ」
『花より』
「やっぱこういう眺めを肴にしての酒は別格だな」
「昼間から酒浸りとは情けない。貴様の甲斐性の無さが表れている」
「これは花見酒といって風流なの。そしてお前にだけは甲斐性についてどうこう言われたくは無い」
「飼主から見た限り、貴様は花よりも酒を楽しんでいる」
「そういうお前は花より団子」
「花はすぐ散る。こちらの方がいい」
「知らないみたいだから言っておくがお前の頬張ってるその団子、それ作ったの俺」
『花粉注意報』
「…くしゅっ!」
「風邪か、軟弱眼鏡」
「ちげーよ、花粉症だ」
「花粉症?」
「はっくしゅ!…うー…」
「………」
「……目…かゆ…」
「……ガユス…」
「…んー何、秘宝ギギナの親切心が発掘されて俺にちり紙でもくれ…ん、の…?」
「…そんなに欲しいのか?」
「まてまてまてまて何かがおかしいギギナ目が据わってるおいどこ触ってやがんだちょっと待……ぁっ!」
『依存の手綱』
月の輝く夜道に長く伸びるのは二人分の影。
「…ガユスよ」
「…ぅんー…?」
あまり友好的ではない己の声音に答えるのは、気も間も抜けた声音。
しかし相棒が発するその音に不快感を抱いたことは無い。
「酒を飲むな、とは言わない。私はそこまで貴様の行動を制限する権利を有してはおらぬからな」
毎度毎度、立てなくなるまで飲んで酔い潰れる自己管理すら出来ない相棒。
そこまでして酒に浸りたがるその行動原理は不可解。
しかしその眼鏡を毎度毎度、しかもあの様な陰湿な酒場などに律儀にも迎えに来ている己の行動原理も不可解。
「その矮小な脳には高度難解かもしれんが限度と言う言葉の意味をしかと刻――」
「あー、なんかギギナが釣れないこと言うー」
とろんと見上げる瞳は日頃の皮肉も冷静さも、そして悲痛な苦悩も宿してはいない。
私はその澄んだ青さに思わず魅入っていた。
そして己の頬に伸ばされる赤い輝きをはめた男にしては細い指。
触れる、というその行為は私にとって決して好ましいものではない。
しかし何故か私はそれを身を引きもせずに受け入れていた。
「―――」
耳元で呟かれたその普段からは想像も出来ないその言葉はどんな強敵よりも我が身の内にある何かを騒がす。
「…戯言を」
揺らぐ己の声音に嫌が応にも動揺していることを自覚する。
何故私がガユスの発した言葉如きで同様などせねばならない。
そんなものはこの赤毛の役目の筈だ。
「本気なのにー」
「ほざけ」
これ以上言葉を発するのも億劫になり口を閉ざせば腕の中から規則的な寝息が響いてきた。
『お前だったら、俺を制限しても構わない』
「……既に貴様が私を制限しているだろうが…」
苦々しく呟かれたその一言、しかし嫌悪は含まれていなかった。
依存と言う名の制限。
行動を限るその檻の鍵、首輪の手綱を真に握るのは果たして誰なのか。
(05.2〜05.5)