一体何なんだ。


これもあれもさては夢か。
しかし俺は夢にあの阿呆を出現させるほどギギナと言う存在を熱望してはいないので否、断じて否。
でも夢に出てきた知り合いの寿命は縮む、というのをどこかで聞いた事があるからそれもいいかもしれない。

あとは新しい家具を買ってきたからそのご機嫌取りとか。
でもこんな人通りの多い時間にあんなところに呼び出したりしたらご機嫌を取るどころか損ねるということに 気付かないのだろうかこの男は。

あとは。
あとは。

え、何だろう。ネタが尽きてきた。
というか、ゴメンナサイ、本当に何が目的なんですか!?




悠々と隣を歩く銀髪男本人に聞きでもしない限り確かな解答が望めそうも無い疑問がぐるぐると頭の中を巡っていた。






動き始めた針の下   ―前編―






唐突だった。



『今日の朝10時、エリダナ中央広場の時計台の下に来い』



それだけ言ってブツリと切れた通信はギギナからで時刻は3時。
午後の、では無い。
午前の、つまり夜明け前。

後にはいろんな意味で呆然とする俺と無機質な音だけが響いた。





エリダナ中央広場の時計台。


そこは恋人たちの待ち合わせ場所として有名だった。
カップルならば一度は待ち合わせをしたいと願う場所NO.1として雑誌にも掲載され、 しかし残念ながら俺とジヴは待ち合わせたことは無い。
そして今の疑問と言えばただ一つ。

何故そこへギギナの呼び出しで赴かねばならない。

思うだろう、誰だって。
そんな恋人よろしく甘い場所に何故男同士で恋仲でもないギギナと集まらねばならない。 ……なんか言って吐き気がしてきた。

はっきり正直冷静に考えればこれはヤツの新手の厭がらせだ。
誰への、ってそれは最近彼女と別れた俺への。
この頭痛・吐き気・眩暈の拒絶症状を見れば明らか。
猫でもわかる結論が出たのだから無視すればいい。シカトだシカト。
そう思うのにしかしちゃっかり只今10時きっかり、問題の集合場所に向かう自分の律儀さに泣けてくる。


ギギナの言った時計台は広場からの一本道の向こう、少し離れた場所にある。
意外と細い一本道。
途中、腕を組んだ男女とすれ違った。


「…あ」


辿り着いた時計台の下。
目に入った光景に何故か心臓が痛くなった。


「来たか」


いた。
時計台という動機不明の集合場所にそれを指定したギギナはいた。


冬も近いと言うのに体内暖房完備の疑いが高まるだけの露出度が高い服は相変わらず。
銀髪だって昨日のままの長さで普段通り一つに束ねて三つ編みが二本揺れている。
そして背には分解した屠竜刀。
普段通りのギギナ。
昨日見たままのギギナ。

なのに、なにか―――こう。


「…あの、さ」
「なんだ」


何だっけ。

言おうとしたことを口に出す前に頭の中で反芻、一瞬でその台詞の異常さやこっ恥ずかしさ に気付いた。
そして動揺したらしい俺の口は代わりとするにはなんとも阿呆な台詞を吐き出した。


「…ま、待った?」


本当に何なんだ。

フォローのつもりがドツボ、どの道恥ずかしくなったと言ってから後悔した。
「今朝の電話はどういうつもりだ」とか「冬は露出狂の季節じゃないぞ」とか、なんかこう他にもいろいろあるだろう、俺!

しかしギギナは別段揶揄するでもなく、一瞬何かを思案するような色を瞳に浮かべた後、


「…いや、今し方着いたばかりだ」


それ一言言っただけだった。
その時の俺は、事前の不自然な間を気にするよりも揶揄されることもなく流された台詞に 安堵した。

胸を撫で下ろす俺をギギナはじっと見ていたが、やがて凭れ掛っていた時計台から背を離し、 俺と視線は合わせずに偉そうにの宣った。


「では、ゆくぞ」
「へ?」



―――何処に?











そうして始まった本日午前10時。
わざわざ事務所を休業にした日に俺を呼び出した目的は何だ。
しかも何処に向かってるの俺たち。

気になることは多々とあった。
しかし問題はそれだけではなく、寧ろこれからであった。


ギギナと一緒に道を歩くことはよくある。
それを俺が嬉しく思うかどうかは別として、よくある。
しかしそれはあくまで仕事においてのことで今現在のように、言うならばプライベートに並んで 歩くなんて事は無かった。 しかも普段はコンパスの違いか常に俺の半歩先を行く癖に、今日のギギナは何故か俺の真横を歩く。


―――明らかに歩幅を合わされている。


戦闘時を除いて縮まることなど有り得なかった俺とギギナの距離。
それが今確かに縮んでいるのだ。

俺から近寄ることなどあるはずが無いから、だからこれは明らかにギギナからのコンタクトだ。歩み寄りだ。
そしてそんなことをするギギナの思考が読めない―――のはいつものことだったか。
しかしこの怪奇現象は単にギギナからの厭がらせ、という路線で結論付けることが出来るので今の俺にとっては さして問題ではない―――と言うことにする。しておく。
さっきからばくばく言い続ける心臓も無視だ。

何故なら今の俺はそれ以上に読めず語れず片付けられない、現在の自分の思考と体調にこそ心底焦り狼狽えていたから。



まず。

ただ並んで歩いているだけなのに、何故か緊張している。俺が。
そして息が詰まる。苦しい。
常日頃の習慣の馬鹿な話題も罵りも思い付かない。
それどころか真っ直ぐに歩くことすら出来ずふらふらと足元が覚束ない。
さっきも右足と右手を一緒に出してこけそうになった。


「わっ…!」


すると自然と差し出されたギギナの腕が倒れ掛かった俺の身体を支える。
戦闘中にも俺を抱き寄せるあの強い腕。


「…ぁ…」


普段なら口にしようとも思わない謝罪の言葉すら素直に口にしてしまうほどに混乱した脳内。
しかし顔を上げて見上げた俺とギギナの距離が―――顔が。
異常に近いことを理解して、俺は慌ててギギナの腕を振り払う。


「…ぁ、やっ、ご、ごめんっ!」
「…いや」


慌てる俺にギギナは一言投げ掛けただけで、そしてまた俺に合わせた歩幅で歩く。


こんな遣り取りをこの道だけでもうどれだけ繰り返したことか。
既に定かでない。




そして。



「っ…!」



―――手、だ。


これまでは一定を保っていた互いの間の距離。
それが道を歩く互いの距離が縮んだお陰で時々掠めるギギナの手と俺の手。
今まで触れる筈が無かったそれが掠る程度、触れるとはいえないそれだけでもその度に、意味不明に脈拍が速くなっていた。



―――なんで!??



戦闘中と思えば先程の様に支え触れられることもまぁ、許容範囲として脳内処理が不可能ではない。
だが指先が掠めただけで心拍脈拍あと脳内数値まで変動させなきゃならない理由がわからない。
そして何で今更、ギギナ相手に緊張などしなければならない。
そりゃあ、知り合った当時はまあ、あれでしたけれども。

わけのわからないこの状況を打破するべく、その為の解決法が欲しくて自問すれば理由も無いのに 頬に朱が差した。


「どうした?」


少し上の視線から気遣うような声がした。


「…別に…寒い、だけだ…」


視線は合わさずに素っ気無さを装ったが、内心は泣きそうだった。

有り得ないギギナの態度に背筋を走る何か。
胸中をぐるぐると正体不明の何かが駆け巡り、胃の中の大して入っていない物を全部吐き出しそうになる。
見知らぬ土地に一人放り出されて、不安で不安で仕方がいないような。
しかし嫌悪感では無いそれ。


そう。
本当に俺は何故か泣きそうだった。








そんな具合の道中。

ギギナと何を話したかとか、何処をどう歩いてここまで来たのかとかは恥ずかしながらも全く覚えていない。
気分ももやもやしていて頭も重く、体調はあまり良くなかった。
けどこの状況は厭ではない、という矛盾だけははっきりと記憶に残っていた。




ギギナが立ち止まった。

俺は地面から離れたくない視線を仕方無しに引き剥がし、恐る恐る顔を上げる。
そこで目に入った場所は一体全体どういうチョイスでそうなったのか襟首掴んで聞いてやりたい。

あれだ、ほら、だって。





「……………水族館?」





なんでだ。

本当に意味がわからず呆然と立ちすくむ俺の優秀な脳が導き出した結論は、やっぱりギギナはおかしくなったんじゃなかろうか。
そんな具合で再びぐるぐると一人ループ思考に沈む中、それを引き上げる聞きなれた声がした。
俺は呼ばれるままにゆっくりと振り返る。


「来い」
「え?あ、うん」


何が「あ、うん」なんだ、俺!
主語も目的語も無い、しかもギギナの命令形言語に二つ返事で了承は拙いだろう、俺!!
と思ったがもう遅い。

返事をしたまま立ち竦む俺にギギナは怪訝な顔はしたものの。


「えっ?あ、ちょっ…ギギナッ!」


しかし気にした風も無く俺の腕を引いて水族館の正面玄関へと歩き出した。

思い出すのは時計台に行く途中ですれ違った一組の恋人たち。

彼らのように腕を組んで、というよりは腕を掴まれるに近く。
寄り添って、というよりは引き摺られるようにして。
そうして俺達は水族館に向かっていた。

冷たそうな肌の色をしている癖に意外と体温が高いのだろうか、掴まれた箇所がじわじわと熱い。


「…っ…」


わかってる。
呼ばれて振り返ってばっちりぶつかった銀の瞳強い視線。
いつもと違う気がした銀色に、何かを求めるような色を含んだそれに不覚にも怯んでしまった。
怯むと言うより惹かれたのかもしれない。魅き込まれた。
いや、絆された?



「二枚」


愛想のかけらも無く、それでも美しさを損なわない声で我に返る。
窓越しに何かを購入しているギギナと頬を赤らめる受付嬢。

その光景になんだか気分が悪くなり、逃れるように視線を下げると未だ掴まれたままの腕が目に入った。
俺は慌ててその腕を振り払う。
するとギギナが「何をする」、という顔をした。


「…なっ、何するんだよッ!?」


しまった真似になった!
いや違うぞ、えっと、そう手、手、手っ!
何時まで繋いで…!!

いかに優秀といえども混乱しっぱなしの頭の中ではどんな言葉も組み立てられず、 ただぱくぱくと開閉するだけの俺の口。
普段の威勢の良さは一体何処に。


「ガユス」
「…っ、ギ、」


背に隠れていた俺の手は、伸びたギギナの腕に再び掴まれる。
抵抗も出来ずにされるがままにしていると、購入した二枚のうち一枚の紙を握らされた。


「…ギ、ギナ?」
「失くすな。入れなくなる」




失くしはしなかったが混乱のあまり、貰ったそれを握り潰してしまった。








しかし人とはなんとも現金な生き物でありまして。




握りつぶした入場券で館内に入ってからというもの、ずっと黙っていた俺。
ギギナの真意が本気でわからなくて怯えていた、というのが一番大きかったのだが、そんな無言を 貫く俺をどう思ったのかギギナは氷菓子を買ってきた。

毒入りか!?

と思ったのだが、知覚眼鏡での検索結果は白。
至って普通の店で売られるままの白乳味の氷菓子だった。
ギギナの真意はわからないままだが、折角なので受け取っておくことにした。奢りだし。
季節は冬だが館内は暖房が入っていて温かかったこともあり、冷たいそれを舐めるうちに気分はまぁまぁ良くなってきた。

備え付けの椅子に腰掛ける俺とその横で壁に凭れ掛るギギナ。
ギギナが買ってきた氷菓子は今俺が食べている一つだけ。
奴は腕を組んで壁に寄り掛かったまま目を閉じ、俺が食べ終わるのを待っている。


「……ギギナは食わないのか?」


顔に似合わずギギナは割りと甘いものを良く食う。
多分出されたものは選好みせずに全部食べるんだろうけど、それでも生クリームたっぷりのケーキを ホール単位で平らげるのは嫌いじゃ出来ないと思う。


「甘いものは好かん」
「……ふーん…」


甘党の癖に何をほざくか。
そう思った俺は自分でも不思議なことに。



「………………いる?」



そう言って、自分の氷菓子をギギナに差し出した。
すると一瞬、ギギナの澄ました表情が動揺したように揺らぎ、 逃げを知らないあの鋼の瞳が確かに泳いだ。
なんだ、やっぱり食べたいんじゃないか。


「ほら。お前が買ったんだから遠慮するなって」


そして再度促すように氷菓子を近づけるがギギナは動かない。
しかしめげない俺に降参したのか、渋々といった風に俺が舐めてた所とは 別の場所を齧った。



それが入場して5分ほどしたときの出来事。






「おぉー…」


そして漏れたのは俺の口からの感嘆の声。


まるまる太ったアザラシの微動だにしない昼寝姿。
真っ直ぐにしか進めず常に壁にぶつかるマンボウ。
先日、漁船網に引っ掛かり群れから逸れた迷子のクジラの子ども。など。

何気ない会話をしながら順路に沿って歩き、そして今ここ。
水中通路に入った頃には、俺はすっかり水族館一色に染まってのめり込んでいた。


水中に通った透明なトンネル。
平日だった為か人も疎らでとても静か。
海の生き物ではない自分が水槽に入れられたような感じ。悪くは無い倒錯感。
四方八方を取り囲むスケールに圧倒され、俺はギギナの奇行とか事務所の借金とか朝から踊りっ放しの心臓に呼吸不良、 その他諸々の心配事など、不都合な事は全て頭の中から吹っ飛んでいた。


ぺたり、と。
透明な壁に手を付けばそのすぐ向こうで綺麗な色をした魚が優雅に群れを成し泳いでいた。
好奇心からか指を差して、いち、に、さん、と数える。
しかし夢中になり調子付いてきたところで、そこに乱入したマンタのせいで魚の群れが散った。


「あー…」
「いくら数えたのだ?」
「まだ43」


充分だろう、という呆れを含んだ声がした。
何気なくひょいと声のした方を向いたら存外、俺のすぐ隣にギギナはいた。

青い水の色が映った彼はその色に染まってた。
揺らぐ水面の波紋がそのままギギナに斑を作る。
普段の俺ならそれをきっと美神だ何だと思うんだろう。
ギギナはその生き様から何まで、本当に綺麗だから。

そう、確かに綺麗。
だけど今日はギギナを神やら何やら、とにかく人間離れした何かに例えようとは思わなかった。

なんだか今日は、とても近くにギギナがいる気がしたから。
手を伸ばしたら触れられそうなほど近くにいた気がした。
それは根拠の無い、しかし確信にも似て。


そんなことをぼんやりと考えていたら視線に気が付いたのかギギナもこちらを向いた。
そして更に縮まった二人の距離がまた存外に近くて。


―――ああ、吸い込まれそう。


普段なら、ぎゃあ、と叫びたくなるような至近距離。
それを更に詰めて来るギギナを俺はぼんやりと感じていた。

他に何も聞こえないし感じない。
思うのはまた近くなった、って事だけ。
ただ、静かだな、と。
それだけだった。

そして瞳を閉じる。







足音がした。

次いで知らない声がいくつか。




その音にはっとして俺は身を震わせた。


「……ぁ、」


距離、が。


「ほら見ろギギナ!イワシ、美味そうだなっ!?」
「…あぁ」


促せばギギナの視線は何事も無かったかのように水中へと向いた。

結局はゼロにはならなかった距離。

しかし俺は気が気でなかった。
ギギナに聞こえるんじゃないかという速さと音で心臓が叩かれる。
息も詰まって苦しい。


「…っ、ギギナ、次行こう!!」


小走りにギギナの脇をすり抜け通路の出口に向かう。
後ろは確認しなかった。

だからギギナの顔もわからなかった。








そして後方のみならず前方も確認しなかった俺はお約束的というか何と言うか、道に迷った。
連絡を取ろうにも館内は圏外。
携帯が通じない為、ギギナを名指しで迷子放送してもらった。
そして憮然となったヤツにある種“お迎え”に来てもらった俺は、まぁなんというか。
………ゴメンナサイ。










純情なようで抜け目無いギギナさん。頑張ります。