現在、土産物屋を物色中。






動き始めた針の下   ―後編―






館内は一通り制覇した。

魚もラッコもサメも虹色クラゲも見た。
ペンギンが岩を登り切るのも応援したし、萎んでいたハリセンボンが膨らむまで待って眺めた。


昼食も食べた。
注文時に俺が「オムライス」と言ったら、ギギナが「同じものを」とか抜かすので石化してしまい、 食事があまり喉を通らなかった。
そして残った分はギギナの胃袋に収まった。


本当は、ここのイルカショーを以前から見たいと思っていた。
この水族館の目玉である双子のイルカのイルカショー。
だが男二人でイルカショーは流石に恥ずかしかった為、言い出すことも出来ずそのまま断念した。


そして時刻は3時を過ぎた頃。
観るものも無くなり、そろそろ退館しようかという雰囲気。
肌寒い季節、日も落ち始める頃だ。
や、水族館の中からじゃ全く見えないけど。


「……」


そんな時に目に入ったそこ。

果たしてそのお目にかかれない太陽恋しさか、単にテンションが高いだけなのか。
イルカショーを逃した為にスタンプラリーのハンコ全てが揃わなかった悔しさからか、未だ名残惜しく心を 引き止める何かがそうさせるのか。
直接的な原因はわからない。
だが俺は出口に向かおうとしていたギギナの長外套を掴み、ある種挑戦的なお願い…というか、試みをしていた。


「―――…土産、みたい」


いかに周囲から軟弱と言われ、ヘタレが固有名詞化し始めている俺でもこの一言には抵抗があった。
俯いて、貧弱だの、女々しいだのと言われるかとビクビクしていたが、しかしギギナは何を言うでもなく頷くだけで あっさりと了承した。


そして今に至る。


普段ならばファンシーショップに入るなど頑なに拒否なのに、今日のギギナは本気で一体どうしたのだろうか。
疑問は尽きなかったがドラッケンの行動原理はブラックホールと結論付けて思考は終了。
そして俺はやたら食い物ばかり眺めるギギナと二人、店内を回っていた。


「食べ物ばっかりみるなっての。情緒の無いやつめ」
「これはなかなか良いと思うのだが」
「お前の胃袋をそのクッキーで満たそうと思ったら何箱いるんだよ」


そう言われても、尚もクッキーを一心に見つめるギギナに苦笑して、俺は周囲を見渡した。


「…あ」


少し離れたところにあの双子のイルカのぬいぐるみがてんこ盛りになっていた。
それに惹かれ歩み寄ったそこで、つぶらな瞳で手を繋いだ双子のイルカのぬいぐるみを手にとってみる。
なかなか愛嬌のある顔ではなかろうか。
や、何考えてるのかはギギナ並にわからない顔だけど。
触り心地の良さとイルカショーを逃したという心残りも手伝い、徐々に心が動く。

これはなかなか良いんじゃなかろうか。

男が買うようなものじゃない、というツッコミは聞かない聞けない聞こえない。

朝の3時に叩き起こされ記念も何もあったもんじゃない一日だった。
だが、悪くは無かった。
それは今日一日通しての確かな感想。
そう思えるくらいには、俺は今日のこのギギナの怪奇的行動に順応していたらしかった。

―――そう、悪くは無かったから。


きょろきょろと辺りを見回せば、ここから少し離れたところ元の位置。
馬鹿でかい図体のドラッケン族はまだ先程のクッキーの場所に張り付いていた。
あの食い意地の張り具合にはもう笑うしかない。


「ギ、」


苦笑のままに呼びかけようとして、止めた。

そこにいたのはギギナだけじゃないと気付いたから。
ギギナを囲むようにして数人の女。

そいつらの顔は見えるのに、ギギナの表情は見えない。
そして交わされる、ここには届かない会話。


「―――…」



―――そう、悪くは無かったから。慣れてしまったから。




だからそれが痛かった。













「……拙いかなぁー…」


気の抜けた独り言は赤く染まった空に消えていく。


衝動的にあの場を後にした。

ギギナとそれに戯れる女、という何のことも無い見慣れた光景。
そう、いつも見ている。見てるのに。


「…でも、俺は悪くないぞ」


そうだ、ギギナが悪い。
思えば朝から今日一日、普段に輪を掛けて変なことばかりするから。


蹴飛ばした小石が何かに当たって跳ね返ってきた。
顔を上げるとそれは朝にも見た時計台。


「……よりにもよって何でここに来るかな、俺は…」


見上げる時計台は高く聳えて、もうすぐ5時の鐘が鳴りそうだった。



思えば、今日のこの意味不明な行動の第一歩はここから始まった。


夜中に、何の前触れも無く突然鳴った電話はギギナからの着信番号。
寝ぼけながらも応答すれば用件だけ言ってさっさと切られ、後には虚しい電子音と何故か眠気が吹き飛んだ俺が残された。
二度寝しようにも目が冴えて眠れず、結局朝までずっと起きていたので当然の如く寝不足。

何でギギナの偉そうな呼び出しで出向かなきゃならない。
そう思いながらも少し早めに付いた広場。
しかしタチの厭がらせかもしれない、という考えも捨て切れず、時間ギリギリまで時計台に行くのを躊躇った。

見るだけ。
ちらりと見るだけだ。
それでギギナがいなかったらすぐさま引き返そう。

そう何度も自分に言い聞かせながら負担が掛かっているのが丸わかりの心臓を押さえて時計台へと歩いた道。



「……ギギナが、悪い」



厭がらせかと思ったのにちゃんと待ち合わせ場所にいたり。
一緒に歩いた道だって、昼食だって、入場券だって。
青に染まったあのときだって。



「……ばかみたいだ」



誰が、とは言わなかった。
きっとギギナのことだ。

心臓は痛いし、息は詰まるし頭の中は真っ白で。
手と手が掠めただけなのに、そこが未だ熱を持ってじくじくと痛んでいる。
それでも不思議と厭ではなかった。

きっとギギナの今日の行動の数々に慣れてしまったから。
だから普段の正常なギギナに耐えられなかったのだ。
だってそれは自然なこと。
普段のギギナは無礼千万、やりたい放題。
普通人はそれじゃ耐えられないだろう。
うん、そうだ。ただそれだけのことだ。

よかったじゃないか、晴れて俺も普通一般人の感覚に戻れましたとさ。
めでたしめでたし。


「……ギギナ」



―――じゃあ、今のこの、めでたくない気分は何だろう?






朝の待ち合わせ場所に向かう道。

行ってギギナが居なかったら、何故だか立ち直れないような気がした。
だから前を見ることが出来なくて、俯きながら足元だけを見て進んで突き当たったところ。
そして三つ数えて顔を上げた。


そこに、ギギナはいた。


30分も前から入り口でウロウロしていた俺とすれ違いもしなかったのに、そこにいた。








「ガユスッ!」


振り向くとそこには夕日で赤く染まったギギナが居た。
状況も気にせずに、青よりこっちの方が好みだな、なんて思った。


「…ギギナ?」


なにやってんの?


「…貴様…それはこちらの台詞だ」


ギギナの声。
今日一日、ずっと隣で聴いていた声。
さっきまで近かったギギナの息が今は少し弾んでいるように思うのは、何故か歪んだ視界のせいだろうか。
立ち止まったギギナと動かない俺。

放って帰ったから怒ってるのかな、とか。
さっきの女の人はもういいのか、とか。
結局クッキーは買ったのか、とか。
何で今日は俺を誘ったの、とか。

思うこと、聞きたいこと、どうでもいいこと、大事なことはたくさんあるけど口は開かない。
だから距離も縮まない。


「……ずっとここにいたのか」


俺が黙り込んだときはいつもギギナが話し掛けてくる。
人と話すこと、関わることが苦手どころか好まない癖に、何故かいつも気まずそうにしながらも話し掛けてくる。


いつから?


俺は何時からここにいたのだろうか。


「……知らない」


事実を淡々と述べるだけの無感情な声になった。


もしかしたら今日はずっとここに居たのかもしれない。
何で呼ばれたのかわからずに聞けずに、ずっとここで立ったまま。
想いばかりが置き去りに。



また沈黙。
そしてやがてどうにも沈黙に耐えかねたらしいギギナが、小脇に抱えていた荷物を俺に押し付けてきた。
最初ゴミだと思っていたので無視していたが、ギギナは構わずぐいぐいと押し付けてくるので肋骨が軋む音がし始める。
だから仕方なく受け取った。


「何」
「やる」
「いらない」
「貰え」
「なんで」
「欲しかったのだろう」


ずっと眺めていたではないか。


俺は呆然として押し付けられた小奇麗に包装された包みに視線を落とした。
重すぎず、軽すぎず、何かの生き物を象ったその中には綿が詰まってそうな感触。

いや、見てたけど。見てましたけど。
ギギナはそれを更に見てた?


呆けている俺を「開けないのか?」とギギナが促す。


「え、あ、うん」


本日二度目の二つ返事を返した俺は言われるがままにがさがさと包みを開く。

そして中から顔を出したのは。


「……違う」
「なに?」
「違う、これじゃない」


俺が欲しかったのは一人っ子のラッコじゃなくて、双子のイルカです。
右手左手を仲良しこよしに繋いだ双子のイルカが良かったんです。
貝殻と手を繋いでるんじゃないんです。
両手でしっかり貝殻掴んだ、こんな食い意地張ったギギナみたいなラッコが欲しかったんじゃないです。
しかもなんかコイツ目つき悪いぞ。


先程とは若干意味合いが違う、気まずい空気が沈黙と共に流れる。


あのギギナが土産を買ってくれたことに喜ぶべきか、しかしやはり目当てのものじゃなかったこ とにがっかりすべきかで俺は悩んでいた。
というかあの程度の距離、ギギナの視力で見間違いなどするだろうか。
結論としてこれはやはりギギナの厭がらせ?

憮然となった俺をどう思ったのか、気まずそうなギギナがぼそりと呟いた。



「…ならばまた行けばよい」



そっぽ向いて呟かれた言葉。
それで俺の中で浮かんだ感情は何なのか。
ただそれが言うままに、俺はギギナを置いて時計台の裏側へと駆け出した。


「ガユスッ!」


捕らえようと伸ばされた白い腕はしかし何も掴めず空を切る。
どこか焦ったように俺を追ってきたギギナが時計台の裏へとまわる。
そしてヤツが勢い良く顔を出した瞬間。

俺は貰ったラッコをそのお綺麗な顔面に叩き付けてやった。


「……ガ、ユス…?」


ラッコとキスしたギギナは珍しくもぽかんとした間抜けな顔をしていた。
赤くなった鼻が少し痛そうだったが気にしない。
今日の俺の心臓を思えば軽い。


呼ばれて振り返った俺は夕日を背負う。
お前からは見えないように。
お前が見たことも無い顔で微笑んで。
そして土産の礼にと、お前が不得手な言葉だけを返してやった。





「また、お前が連れてってくれんの?」






エリダナ中央公園の時計台の下。

そこは、恋人達が歩き始める場所。






部分的アルビノ様からのキリリクでした。
ギギ→ガユがギギガユになった瞬間。…だと思う。(しっかり)
水族館なのはきっと、ある日の特番「エリダナ双子のイルカ特集」にガユガユが齧りついてたのをギギナくんは覚えてたんだと思います。
ラッコ事件はギギナの確信犯なのか、ぬいぐるみよりもガユスを見てたのかは永遠の謎。

とっても長くなりましたが、いつもコメントくださる部分的アルビノ様にお礼を込めて。(デートの部分しかクリアできてない予感いっぱい!)
キリリク有難うございました!!
こちらはリクしてくださった部分的アルビノ様のみお持ち帰りOKです。


2005.11.21  わたぐも