「ギ・ギ・ナァ?」


なんだ、と視線を向ければ青筋を浮かべる赤毛眼鏡の顔があった。






気付かない  side ギギナ






「先ほどの行動の理由をその麗しい口から発せられる美声に乗せて俺の元へと運んで欲しいなぁ〜、超特急で。  瞬間、嬉々として返品、今なら〈爆炸吼〉と不幸の手紙付きでお得だぞ」


どうやらガユスは“先ほどの行動の理由”とやらを私に吐かせたいようだ。

しかし今の言葉は奴にとって脅迫なのだろうか。
そもそも、ガユスが私に向けて〈爆炸吼〉を放とうとも脅しどころか遊びにもならない。
それともガユスにとってはその程度のことも脅迫なのか。
ならばやはり奴が貧弱眼鏡だという私の見解は疑う余地はない。


「ギギナ、聞いてんのか?」


普段より、先程よりも苛立った声。

声を掛けられ、今現在、私はガユスに脅迫されているらしいことを思い出した。
だが、何を問われているのか心当たりが無い。


「何の話だ」


眉間に追加される皺。


「……依頼人を追っ払った理由」


なんだ、そんなことか。


「気に食わなかったからだ」

「またそれかよ!!いや、予想はしていたが。違う、そうじゃなくって。 お前、いくら仕事内容が気に入らないからって」

「ガユス、それは違う」

「あ?」

「仕事内容が気に入らなかったのではなく、あの依頼人が気に食わなかったのだ」

「仕事が逃げてったんだから大差無い!!」




確かに、貴様にとってはその程度なのかもしれん。

だが、まったく違う。

少なくとも私にとっては。





気に食わなかった。

事務所に入ってからというもの、あの依頼人の意識の先には常にガユスがいた。
最初からそれが目的だったのかどうかなど知らない。
だがあの目に宿っていたものは、助けを求める者のそれとは違う色。

しかしこの眼鏡のおまけはそんなことに露ほども気付きはしない。


――――無防備にも程がある。





「仕事内容が気に入らなかったのも確かだが」

「お前、もう黙ってろ」


苛立ちと共に吐き捨てる。
自分に降りかかったかも知れない一大事に気付きもせずに。


「貴様こそ黙っていろ。ヒルルカの昼寝に激しく邪魔だ」

「お前に座られるほうがヒルルカにとっちゃ過激に邪魔だろうよ」


はぁ、と盛大に溜息を付き、たった今、本人の知らずの内に 貞操の危機を逃れたばかりの眼鏡の土台はソファに身を沈める。

厭味ったらしい溜息。






「何?ギギナ」

「……ヒルルカの邪魔になると貴様が言うから退いたのだ」

「それはそれは娘想いなことで。でもだからって何でその移動先が俺の隣なの」


男二人でソファに座るとかありえない、そう言いつつもガユスは私を退けようとはしない。


それが、無防備だというのに。


手を伸ばせば簡単に組み敷ける距離。
例えば私にそれをされて貴様はどうする?
力勝負において貴様に何の対抗手段がある?


――――試してみるのも面白い。



「―――――」



………何を考えているのだ、私は……。



己の思考は掻き消せても、伸ばされた腕は不自然に浮いたまま。

視線をずらせば卓上に置かれた珈琲が目に入った。


「おいっ!」

「何だ」

「お前のはあっちに置いてあるだろ!?」


確かに机の向こう端に私の珈琲がある。
ガユスが淹れたものだ。

だが。


「遠い」

「知るかっ!それは俺のだっ!」

「それにヒルルカの安眠を妨げる訳にはいかん」

「…ちょっ…いいから自分の飲めってッ!」


ガユスはどうしても私に珈琲を飲ませたくないらしい。
しかし飼育動物の抗議・抵抗を聞いてやる意味が全く以って見当たらない。

私はそのまま無視して珈琲を口に運ぶ。


「あ゛ぁ゛ッッ!??」

「煩い」

「…そっ…そっ…そっ…!!」


貴様は進化の原点にすら存在しない新種の赤毛ウィルスであろうが。
いつから空気を求める魚になったのだ。


「そんなに珈琲が飲みたいのならあちらに私の分があるから それを飲めば良いであろう?ただし、我が愛娘を起こした場合は殺す」

「……お前の、って……出来るわけ無いだろっ!?」

「どれだけ騒いで取りに行く気だ貴様は」

「そっちじゃねぇ!!」


何をそんなに喚いているのだ。


「そっち…とは?」

「…っ…うっさい!!」

「?」


訳がわからん。


「もういいッ!!」


そう喚くと赤面咒式士は身近にあった新聞を引っ手繰るようにして読み始めた。
その新聞が上下逆向きなあたり、もうそろそろ私の勧める脳の摘出手術を受けるにも限界だろう。


ガユスの意識は文字の羅列を追うことだけに向いている。
相変わらす無防備なままで、珈琲が己の身代わりになったとも知らずに。


(……手に負えん)


それは誰に向けた言葉だったのか。



そして私はガユスが先程まで飲んでいた珈琲を再び口に運んだ。





まだ恋人じゃない時代の二人の話。
そして旦那は随分たまってる模様。危険。
ギギナの嫉妬、ガユスの純情さ。鈍感なのは果たしてどちらか。


side ガユス


05.2.18  わたぐも