「あの騒がしさが懐かしいか?」
「おまえの子守だけで十分だ」


―――そう、おまえがいれば十分だった。





two traffic lane love - 3.stillbirth





ぼんやりと部屋を見渡す。
事務所内は薄暗いのでまだ夜だろうとあたりを付ける。時計を見て確認するのも億劫だった。ギギナは、いない。


「‥切れたの‥治癒したのか」


身体の痛みは無い。
噛み跡は勿論、ご丁寧に鬱血まで消してある。

なんの痕跡もない自分の身体を見て、夢だったら良かったのに、と思った。
でも夢じゃない。
押さえ込まれた手首の感触が消えない。
肌を這った手の感触が生々しい。
冷たく皺のないシーツが白々しい。
口の中が、苦い。

初めてだな、と思った。
ギギナに傷を付けられたこと。
身体ではなく精神に傷を付けられた。
請求書の束や新しい家具・咒式具だって精神的打撃だが、言いたいのはそういう類の傷ではない。痛いな、と思った。


怖かった。
暴力も、突然豹変したギギナも、未知の痛みも。 男の矜持もなにもない。

けれど一番怖かったのはギギナとの関係が変わってしまうこと。
ギギナとの繋がりが切れてしまうことが恐ろしかった。

女を取っ替え引っ替えするくせに、相棒として俺は三年ギギナの隣にいた。
だから無意識に、ギギナの中で自分は特別な位置にいるのだと思っていた。思い込んでいた。

けれどどうだ。実際はなんてことはない。
ギギナにとっては俺は便利な咒式発生装置で、更に性欲処理機能まで付いた便利な道具。雑用器具だったのだ。


突きつけられた事実は無情だった。
組み敷かれた時点でそれは明確だったのに、それでも俺はまだ現実を信じたくなかった。
物理的な抵抗なんて意味がない。制止の声もきれいさっぱり無視された。

それでも最後の抵抗、とばかりに一度も目を開けなかった。
ギギナの目を見たくなかったのだ。

女を見るギギナの瞳は鋼よりも冷たくて無感情。性欲を解消する為なのに、その目には何の欲も浮かんでいないのを俺は知っている。あいつの側で散々見てきた。
自分があんな眼で見られているなんて、信じたくなかった。見たくなかった。耐えられなかった。
だって、見たら本当に終わってしまう。ギギナとの繋がりが切れてしまう。
相棒以前に、人ですら、ない。

ギギナは嘘を吐かない。
ギギナの行動は全部みんな本当のこと。

だから、俺の目に映るギギナの言葉は全部本物で、俺の耳に入るギギナの言葉はみんな真実。

例え瞳に映らなくても、蹂躙という行為がすべてがを物語り、明らかにしたというのに、無駄な足掻きをしてまで自分はギギナに縋った。

縋りたかった。
離れたくなかった。
瞳を閉じた。
現実を、見たくなかった。


その理由は単純すぎて、理解した瞬間、枯れた涙がまた零れた。
どうして今まで気づかなかったのかが、可笑しかった。




「‥‥‥女々しい‥」




そして俺は、たった今自覚した恋心にさよならを告げた。







【stillbirth】



俺はいつでも、事実を晒されてから事実に気付く愚か者


2007.4.10  わたぐも