キティ 

「ロックオンッ!」


小さな身体が怒声と共に自室から飛び出す。
向かう先は夕食の支度が始まりつつあるリビングだ。

「おかえり、刹那」
「あれほど俺の部屋に入るなと言ったのにおまえはまたッ!」

長兄のロックオンは末弟の刹那に怒鳴られようともなんのその。
のほほんと「おかえりなさい」、爽やかな笑顔もセットで付いている。

ちなみに、先ほどのロックオンから刹那への「おかえり」。
声を掛けるのが玄関ではなく自室の扉を出てきてからになったのは、帰宅した刹那が大急ぎで自室に入ったからだ。 一言挟む隙もないほどの全力疾走だった。そんなに広い家じゃないのに。

「ああ、夕食はまだだぞ」
「違う!」
「何をそんなに怒ってんだ」
「おまえだ!勝手に部屋に入ったから!」

感情を全面に押し出す刹那は珍しい‥‥ようで実はそうでもない。
弟に詰め寄られるロックオンも珍しくもなんともない。
珍しいのは人ではなく、兄弟全員が揃って食卓を囲める日だ。

「刹那は思春期なのかな」
「可能性はゼロではない。精神と身長は別物だ」

そう、今日の今の時間は珍しくも四人とも揃っていた。
長い前髪の次男の手元にはアルバイトの求人雑誌の束。
眼鏡の三男の手元にはクッキー缶(既に空)。
各々ソファに座り、養い手である長兄と怒り心頭中の末弟の成り行きを傍観していた。 いつものことだが我関せずの姿勢。

「掃除は欠かせないだろ」
「それくらい自分で出来る!」
「じゃああれか、思春期的な本でも隠してたか?」
「違うッ!!」
「そうだ、違うな。隠してたのは本じゃない」

落ち着き払った長兄の態度。
激昂する刹那をからかう風を微塵も含まないその声は普段の彼らしくない。つまり。
―――しまった。と。
瞬間、刹那の顔にでかでかと書かれたが遅かった。

「コイツがいたからだよな」

「あ、今度のも可愛い」「黙っていろ」とは次男・三男の言。
一体何処に隠していたのか。
ロックオンに首根っこを掴まれた形で現われたのは、真っ白な毛玉――もとい、仔猫だった。
刹那の目の前にズイと突きつけられてぶらーんと揺れる仔猫。 その小さな生き物は、朱味がかった瞳と浅黒い肌の色を見るなり、嬉しそうに尻尾を振って、なーなーと鳴いた。物凄い懐きようだ。

「刹那」
「っ、返せ!」

咎めるように名前を呼ばれたが、まったく気にならない。
ロックオンの乱暴な掴み方が気に入らなくて、刹那は仔猫に手を伸ばす。が、届かない。
刹那に飛び掛られると同時に、ロックオンが自身の頭より高く持ち上げてしまったのだから当然だ。

持ち上げられた反動で、仔猫がぶらんと揺れた。
その勢いの良さに目が回ったのか、はたまた地上二メートル強の高度が恐ろしいのか。助けを求めるようにジタジタもがく仔猫に慌てたのは刹那だ。威嚇するように低く唸る。
しかしロックオンはそんな仔猫にも刹那にも構わない。

「『返せ』、ねぇ」
「ロックオン!」
「これは、おまえの猫じゃない」

偉そうに宣う兄を睨むが、相手がそれに動じた様子は微塵もない。

普段の生活で不機嫌を示せば「仕方ないな」と笑って許される。
この兄が自分に甘いことは事実で理解もしていた。それに自分が些か辟易しているのも本当。
基本的に、この兄は自分に甘過ぎるほどに甘くある。

「刹那。何度も言ってるが、うちでは動物は飼えない」

けれど、無計画に甘やかされているわけではない。
この兄は、刹那に対して絶対に譲らない箇所をいくつか持ち合わせている。
刹那がどれだけ足掻いたって抜け出せない枠を作っている。
「仕方ないな」と言って許してくれる部分は全部、許される範囲内のことだけ。
だから今回もまた彼はこう言うのだ。


「戻して来い」


ぎゅ、と掌を握る。
もう何度目かも知れないこの動作。何度だって繰り返す。
けれど刹那が返せる言葉など、一つしかない。


「‥‥わかった」



了承の言葉と引き換えに、手の中に戻ってきた小さな温もり。
朝に頭を撫でてやったきりだった体温が擦り寄ってくる。白い毛が制服に付いた。



剥がれないロックオンの視線を振り切るように玄関へ。
スニーカーを履き直す。脱いでまだ五分と経っていないのに靴の中はもう冷え切っていた。

「‥‥ロックオン」
「なんだ」
「‥‥‥なんでも、ない。」



ぱたん。
振り切るように玄関のドアを閉めた。
キティ
2008.1.9  わたぐも