額に立派な青すじ浮かべる割に、第二の凶行には及ばれなかった。
代わりに、ぽい、と投げられた冊子が一冊。「日直日誌書いとけ」という言葉も飛んできた。
中を開けば未記入項目は、時限・科目・担当教師・授業内容・清掃点検・明日の連絡事項‥‥と盛り沢山、つまり全部白紙。
もう一人の日直さんは教室の扉に手を掛け、とっとと帰ろうとしている。

「オレずっと寝てたから、今日の授業で何やったかなんてわかんないんだけど」


振り返ったその額には、さっきより一本青すじが多かった──上に、ギロリと睨まれた。
オレ、本当のこと言っただけなのに。








はじめまして、以後お見知りおきを







「三限は現国。教師は‥‥忘れたから、空けとけ」
「いいのー?そんな適当で」
「まだ4月なんだ、覚えてねぇよ。それに誰のせいだと」
「はーい、オレでーす!」
「わかってんなら手ぇ動かせ!」


オレはオレの席に、彼はオレの席の一つ前(誰が座っていたか全く記憶にない)の椅子に腰掛けている。
そして今日始めて芯を出した筆記具で、彼が言うことをオレが日誌に記している、という有様。

結果として、さっき呟いた声は彼へ話し掛けたことになった。
けれど、あれはかなり小声だったから、「聞こえなかった」と無視もできたはず。なのに、彼は律義に居残りを選んだ。
理由を聞いても良かったけれど、止めといた。
この時、雨はもう止んでたから、シャープペンと紙が擦れる音、あと彼の声しか響いてなかった。







あらかた埋まったB5サイズの紙。まだ空いている中でふと目に入ったのは「日直名」の欄だった。


「‥‥ねぇ」
「あ?」


現国の担当教師の名前を思い出そうとしていたらしい『彼』に話し掛ける。


「君の名前、教えてよ」
「始業式に自己紹介があっただろうが」
「名字は知ってるよー。名前の方」


またへらりと笑って見せる。
本当は名字も知らないけど、それを正直に言うのは何故か嫌だった。


「‥‥黒鋼」


眉間に寄ったしわは不審を表していたけれど、オレが笑顔を崩さないから諦めたのか、無愛想に呟いた。


「くろがね‥‥ね」


いい名前だね、とは言わなかった。
只、ああそうなんだ、“くろがね”なんだ、と思うだけ。
そして変な顔してこっちを見ている彼に、とびきりの笑顔を贈ってあげた。



「オレの名前はファイって言うんだー。よろしく、黒たん!」
「妙なあだ名付けてんなッ!!」




怒鳴り声が後頭部に響く。

彼から見えないように摩ってみたら、小さくコブに なっていた。











黒鋼の名字は「諏倭」でいいと思う。


2007.1.27  わたぐも