ぐい、と突き出されたのは紙で出来た見るからに弱そうな作りの白い手提げ箱。
洋菓子店でお持ち帰りのときに使われるあの箱。

しかも背に禍々しい屠竜等を背負った長身の、顔には右の瞳を跨ぐ刺青を施した ドラッケン族の青年がそれを持っているのが不釣合いだった。


「紅茶」

「ここはお主の自宅であろう?」

「だから貴様を入れてやってる」


つまり宿代代わりに茶を淹れろ、ということらしい。

常に自分中心のこの青年の主張に呆れの溜息を付きつつも、 しかし苦笑が混じる辺りどうしようもない。


「はやくしろ」


吐かれた溜息に不機嫌、というよりは自分が提げるその箱の中身を食べたいのだろう。
口調にも苛立ちより落ち着きが無い感が勝っている。
なにより先程から目が一度も合っていない。


わざわざ出迎えた自分を玄関で急き立てる青年のその様子に再度苦笑しながら、
恐らく既に自宅の主よりも勝手知ったるであろう台所へとユラヴィカは足を向けた。







アップル パニック







簡易タイプの紅茶を淹れている最中、台所からリビングの様子は見えなかった。
しかし伝わる気配からギギナが箱を開けたくてうずうずしているらしいことは容易に推測できる。
二人分の紅茶とそして少し考えて、無駄だろうなと思いつつ小皿と肉叉フォーク食刀ナイフ を揃えてリビングへと移動する。



「遅い」

「それは申し訳ない」


態とらしく、尚且つ仰々しく詫びてみればつんと向こうを向かれた。
今更だがどうにも素直ではない。


「はやく座れ」


そう急かしはするもののギギナはユラヴィカが席に着くのを律儀に待つ。
そこを突付けば 優位には立てるが代償に相手の機嫌を損ねてしまうのは解り切っているので、何も言わずに座ることで 返事とした。
そしてユラヴィカの着席を視覚ではなく聴覚で確認したギギナはいそいそと 持ってきた白い箱を開ける。

中には程よい狐色をしたアップルパイがワンホール鎮座していた。


「…これは?」

「気に入らないのか?」


普段は丸齧りをする癖に今日はどうやら切り分けるらしい、用意した食刀ナイフを片手にギギナは ユラヴィカの疑問に疑問で返した。視線はアップルパイから離れないままだが。


「気に入らない、というか…」


寧ろ気になる、というか。
主に何故アップルパイなのかが。


「良い色だろう?」


しかしユラヴィカの疑問もギギナにしてみれば大した問題ではなかったらしく、すぐさま得意げに 返して上機嫌に眼前の林檎の焼菓子へと食刀ナイフを入れる。



その様子を眺めながらユラヴィカは以前、ギギナの事務所を訪れたときのことを思い出した。

あの時は丁度、ギギナの相棒だとかいう赤毛の眼鏡は不在で代わりとばかりに黒い猫がいた。
美しい毛並みをしていて、喉を鳴らしながら懐いたように足元に擦り寄ってくる様が愛らしい猫だったと記憶している。
その漆黒の毛を撫でてやりながら何時になっても懐かない銀色の猫とは大違いだ、と 部屋の隅に咎めるような視線を向ければ始終不機嫌な銀の毛並みの猫は親の敵でも見るような目でこちらを睨んでいた。
正確には、ユラヴィカの手元の黒い小さな生き物を。

そう、睨みつけながらじりじりと微細に、しかし確実にあとずさっていた。
そこで「ああ、猫が嫌いなのか」と直感したが本人に確かめてはいないので確証は無い。
しかし腰が引けていたからほぼ間違いないだろう。

そして今回のこの焼き菓子にしてみても。



―――存外、可愛らしい趣味をしている。



胸のうちに湧いた感慨に一人笑みが浮かぶ。
今度訪問するときは手土産に氷菓子でも持ってきてやろうかと半ば本気で考えた。




「やる」



ぐい、と眼前に差し出された小皿。

皿に乗ったそれは食刀ナイフを入れた為にところどころが欠けて不恰好、 切り分けられた大きさをとっても皿から少々……そう、少々はみ出している。
パイ生地で作られた葉型の飾りも割れて砕け、見た目にも小奇麗だった切り分ける前の 姿は原型も留めていなかった。


「…頂こう」


それでも向かいに座る青年の珍しい好意を素直に受け取る。
しかし皿が相手に渡った後でもギギナはその皿から視線を外さない。
何も言わない口、だが態度は「はやく食え」と促している。

ここに来て漸く初めて、今日のギギナの一連の行動が自分にこれを食べさせたいが 為のものだったのだと理解した。

既に回数も知れないほどの唐突な訪問を重ねている。
しかし今日に限りギギナは「待っていろ」と言って止める間もなく自宅を後にした。
仕方が無いのでそのままギギナの自宅で暇を潰していると、3時間ほどで帰宅したかと思えば 入れ違い様には持っていなかった紙箱を提げていた。



―――……本当に、可愛らしい趣味をしている。



食刀ナイフを片手に未だ視線を小皿から外さない彼の前で、 切り分けた本人とは違って不細工な焼菓子に肉叉フォークを入れて、口に運んだ。

そして態度で訴えるギギナに返す。


「なかなか美味だ」

「そうか」


表面上は無表情を装いつつも、皿から反れた薄い色の瞳に滲む喜色は隠せていなかった。

そしてユラヴィカの返事に満足したのかギギナは残ったアップルパイに食刀ナイフも入れずに齧り付く。
どうやら自分にくれるのは切り分けた分だけらしい。
彼らしいといえば彼らしいが。


苦笑を隠す為に紅茶を口に運びながらゆったりと流れる空気に乗せられて、らしくもなく 会話を広げてみる。


「何処で買ってきたのだ?」

「買ってはいない」


口周りにパイ生地を貼り付けたままギギナが応える。
意識は手元の菓子に夢中で口周りもユラヴィカの問もどうでも良いらしい。

しかし買っていないとはどういうことなのか。


「…まさかとは思うが…手作りか?」

「ああ」


自分の目的さえ果たせればあとは本当にどうでも良いらしく、零れて手に付いた林檎のペースト を赤い舌先で舐めながら面倒臭そうな投げやりの返事が返ってくる。
元々口数が多いわけではないが今は尚の事、言葉を吐くより咀嚼に全身全霊を傾けたいらしい。

だがユラヴィカの疑問は止まらない。


「…………お主が、か?」

「まさか」

それには流石に驚いたのか、瞠目したギギナがこちらを見る。
そしてここで今日初めて、ギギナの双眸とユラヴィカのそれとが合った。





「私の相棒の、あの貧弱な眼鏡に作らせた」






その途端、部屋の温度が五度は下がったが熱がりの青年が気付くことは無く。
そしてそこから青年のお気に入りである赤毛の相棒の自慢話を彼にしては饒舌に延々と続いた。







オフ友・相澤さんのブログ開店記念の捧げ物でした。

ガユスがギギナに恋愛感情を抱いてなくてもユラギギにおけるユラ氏は眼鏡が大嫌い、という話。
ギギナは割りとよくお土産を買ってるのでユラ氏にもお土産してもらいましたー。
しかし使われ恨まれ災難だな、ガユス!(笑)
因みにアップルパイなのは相澤嬢の好物だからです。(蛇足)


2006.2.11  わたぐも