※ルルーシュが精神的に逝去しています。






「ルルーシュ、おはよう」

アルコール消毒のつんとした匂い。
清潔なのに、洗練からは程遠いその部屋でルルーシュはベッドに腰掛けている。
一昨日も、昨日も、一年前からずっと同じ姿勢だった。
病室の扉を開けたスザクは少し目を細めてそれを見て、そして静かに扉を閉じてルルーシュに近付く。
一昨日も、昨日も、一年前からずっと同じ事をしている。

「ルルーシュ、もう外見た?昨日は凄い雨だっただろ?だから今日は綺麗に晴れてるんだ」

持ってきた着替えをパイプ椅子に置いて、スザクは窓辺に近付く。
カラカラ、と乾いた音を立てて四角く切り取られた世界が姿を見せる。

「ルルーシュ、見て。空が蒼くて、とても綺麗だ」

ルルーシュは何も言わない。
まだ朝に区分される時間で雀が鳴いている。
その鳴き声も直に蝉のそれに取って代わる。

季節は夏だった。



黒の騎士団との最後の戦闘で、コーネリア殿下の部隊と政務班が文字通り全滅した。
ランスロットが単機でゼロの捕縛の任にあたったのはそのお陰だった。

ゼロを捕らえる瞬間まで、自分の内に滾っていた憎悪。
しかしそんな感情もゼロの正体を知った瞬間、綺麗に霧散した。傷跡も残さず綺麗に、溶けて消えてしまったのだ。
まるで初めから、何もなかった(ゼロ)ように。



「ルルーシュ、包帯、替えよっか」

ルルーシュの左目は空洞だった。
ルルーシュが自ら抉り出したのだ。
捕縛したゼロの仮面を剥して現われた面。それに動揺し、スザクが拘束を緩めてしまった瞬間の出来事だった。

ゼロがルルーシュだったこと。
ルルーシュが自傷に走ったこと。

目の前で起こった事態の全てが、スザクの認識のキャパシティを超えていた。
けれど思考の停滞はたった一瞬であり、眼窩から黒血を流すルルーシュの苦鳴で我に返った。
その一瞬で全て終わり、また全てが明かされた。



「ルルーシュ、瞼を拭くからじっとしててね」

公式の記録のゼロは「ブリタニア軍の殲滅作戦にて死亡」ということになっている。
ユーフェミアがそう言ったのだ。
普段通りのあの「綺麗な顔」をしてそう言ったのだ。
だからブリタニアは皆、ユーフェミアの言った事を誰も疑いもしなかった。

お飾りの副総督。
お綺麗なお人形。
一人じゃ何も出来ない皇女。

それがブリタニアのユーフェミアへの評価だった。
そんな彼女に出来ることなどありはしない。状況を読み上げるしか能の無い小娘。
だからブリタニアは皆、ユーフェミアの言った事を誰も疑いもしなかった。

実際、戦場となったトウキョウ租界は悲惨で凄惨、壊滅に近い状況だった。
その上、黒の騎士団によるコーネリア部隊の全滅、重要政務担当者たちの皆殺し。
残ったのは役立たずな軍人と、責任逃れしたい能無しの為政者もどき。

そんな屑たちの自己保身と混乱が、ユーフェミア副総督をエリア11の実質政権者に押し上げた。
それは代わりの総督が決まるまでのほんの僅かな時間だったけれど、十分だった。


スザクとユーフェミアが共犯になるには一瞬あれば十分だった。



「ルルーシュの目の色、僕、好きだったんだ。紫は大昔の日本では高貴な人しか身につけちゃいけなかった色なんだよ」

君にぴったりだ。
拭い終わった瞼は汚れていない綺麗な白。
閉じられたままのそれを見ると、今でもあの不思議な色が覗くのではないかと錯覚する。
けれどそれは無い。
瞼の下には何も無い事を布越し味わった。触った感触が全てをスザクに突きつける。

ルルーシュに出来た空間。

義眼を作ることはしなかった。
正確には作りはしたが使っていない。一度出来上がったそれを嵌めようとしたらルルーシュが半狂乱になって嫌がったのだ。
理由は分からない。けれどルルーシュが嫌ならしない。
義眼を使わない理由はそれだけだった。



「ルルーシュ、梨を持ってきたんだ。良く冷えてるよ。今剥くから、一緒に食べよう」
「‥梨」
「ルルーシュ、昔良く買ってただろ?丁度今の時期から出始めなんだ」
「‥‥『ルルーシュ』?」
「ルルーシュは君の名前だよ」
「‥俺、の」
「ルルーシュはルルーシュ。誰でもない、君のことだよ」

ルルーシュは自分の名前を忘れる。 一年から続いているが、これも原因はわかっていない。
「恐らくは精神的なもの。経過を見るしかない」と差し当たりの無い診断を下すだけの医師は頼りにならない。
だからスザクはルルーシュの元へ訪れる。
誰かになんて頼らない。軍務も時間もどうとでもなる。その為の騎士という地位であり、その為に騎士と姫は共犯なのだ。

(‥‥今日はまだ‥名前、呼んでもらってないな)

ルルーシュは自分の事を忘れる。
けれどスザクのことは忘れなかった。
自身のことは忘れても、スザクを見たら必ず「スザク」と呼んでくれた。
それがスザクにとって哀しくもあり、また嬉しかった。
スザクの存在がルルーシュの中でルルーシュ自身よりも上位にあるようで、哀しいのに嬉しかった。



「ルルーシュ。梨が剥けたよ。食べる?」

ふ、と隻眼の藤色がスザクをじっと見ていた。
あ、名前を呼んでくれるかも。
そう思ってじっと待つ。


ルルーシュがゆっくりと口を開いた。



「君は誰?」



誇りも自信も捨てた。過去に全部置いてきた。
純粋さも気高さも何もかも、綺麗なルルーシュの元に全部集めて置いた。
だからルルーシュが呼んでくれないとスザクはスザクじゃない。
自分じゃ何も分からない。

(―――ああ、そうか)

君もそうだったじゃないか。




「君は、誰?」
「―――うん、」



 誰 な ん だ ろ う ね 。






切り取られた世界で、雀が鳴いていた。






さんきゅ、



ルルーシュを支えているようで、実はいつになってもルルーシュに支えられていたスザクの話。


2007.3.13  わたぐも