『スザクに?』
『俺よりあいつの方が適任でしょう』
『そりゃあそうかもしれないけど。‥でも』
『母も喜んでくれますよ』
『いいの?』
『ノーと言う理由がありません』
『‥随分、買ってるのね』

『友達ですから』


それは私が知るこの七年で、一番綺麗な彼の顔だった。









卒業して以来、高等部には顔を出していなかった。
本来、部外者は立ち入り禁止の校内。
けれど自分は卒業生だし、ある意味関係者。少なくとも無関係ではない。
残り少ない自由な時間。
アッシュフォオードを名乗れる間に使えるものは全て使っておこう。

そう思って久々に足を運んだ学び舎。何も変わってない。
自分も変わらぬ仕草で廊下を歩く。知らない生徒は新入生だろう。
挨拶をしてくれる生徒には返事をし、ミレイは生徒会室の扉を開いた。


「やっほー、スザク!元気してた?」
「ミレイさん!?」


驚いた声は一つ。
生徒会室を使っていたのが、枢木スザク一人だからだ。


「驚いた?」
「そりゃもう‥どうしたんです、突然」
「予告なく現われた方が面白かろう」
「会長らしいです」
「もう会長じゃないけどね」
「失礼しました。あ、今、お茶出しますから」
「いいわよ気ィ使わなくて。文化祭の準備、忙しいんでしょ?」


文化祭でこの時期は忙しい。
自分がまだ在学生だった頃も、この時期の生徒会室は人が疎らだったように記憶している。
そうでなくとも生徒会の面子は皆三年生だ。ただでさえ忙しい。
そして今日は他のメンバーは来ないのだと、スザクは言った。
知っている。
だから自分は今日、ここに来た。


「聞いたわよ」


単刀直入に本題へ。
今年の文化祭の目玉。
自分は今日、その話をしにここへ来たのだ。


「今年もやるんだって?巨大ピザ」


やっぱりそれでしたか、と苦笑する少年。


「ええ、リベンジです。去年は失敗してしまったんで」


申し訳なかったです、と言って謝罪する。
在学最後のイベントだったのに済まなかった、と。
そう言って、スザクは頭を下げた。
けれどミレイが聞きたいのはそんなことではない。


「今年も貴方がガニメデの操縦を?」
「ええ。やっぱり、軍人の僕が適任でしょうから」
「‥‥軍人、ね」


そう呟いたミレイの表情が険しく翳る。
揚々と今年の段取りを話続けるスザクが気付かない程度の変化。


「文化祭のイベントだけどね」
「はい?」


きょとん、とした声は、存外幼い。
わかってない。
この少年は何も見えてない。


「ピザを焼くのは、今年で三回目なんだ」
「そうなんですか?」
「ええ。一番最初は二年前」
「知らなかった。最初は誰が操縦を?」
「わからない?」


疑問を疑問で返す。
自分が在学していない時期だ、知るわけ無い。そんな顔。
――ああ、やっぱり。
僅かな期待も散ってしまった。
一年の猶予は何の効果も無かったのだ。


「ルルーシュよ」
「え?」
「最初は、ルルーシュだって言ったのよ」


この少年は、何も。


「因みに去年のガニメデ役にあんたを推奨したのも、ルルーシュよ。知らなかった?」


二年前。ルルーシュが高等部に入学した年。
文化祭で巨大ピザ、と言い出したのはミレイだ。
もう皇族を名乗れないあの子。けれどせめて母親との繋がりだけは断たせたくない、と。
そんな想いを込めた企画だった。
ルルーシュのために、自分が用意した彼の場所だったのだ。

その場所をこの少年に譲ると、あの子は言った。
一年前の、あの日だった。


「知るわけないよね。だってあんた、ユーフェミア様の騎士になってから変わったもの」


そう、スザクは変わった。
ユーフェミアの騎士を拝命した日を境に、反転した。

『ルルーシュ』、と言わなくなったのだ。

編入したての頃は、まるで仔犬のようにあの子の後を付いて回ってた。
生徒会の他のどんなメンバーよりも、あの子の姿をその目で追っていた。
生徒会室を訪れてまず最初に探すのはあの子の姿だった。
あの子がいない日の生徒会には、興味すら示さなかった。
それが傍目にどう映ったかは知らない。
只々自分は、この少年のその固執が、己に興味を持たないあの子に丁度よいのだと理解していた。
嬉しかったのだ。
あの人に、「友達」だと言って誇れる存在があることが。

なのにどうだ。
この男は変わった。
それを悪いことだとは、言わない。言えない。
だって、変わらないものなんてない。受け入れないといけない。
理解してる。

でも、あの人はほんの少し、寂しそうだった。


「失敗した、って思った」


誰も知らない冷たい声。
自分が、こんな声が出せるなんて知らなかった。
止まらなかった。
止める気は無かった。
だって、自分がアッシュフォードを名乗れる時間は残り少ないのだ。


「ガニメデの操縦を、貴方に任せたこと」


去年の文化祭。
予行演習で見事にガニメデを駆ってみせた友を紫暗の瞳に映し、眩しそうに呟いたあの人。
嬉しそうに、けれど何かを秘めたような言葉。
それはミレイの胸を深く抉った。


「‥あんなこと、言わせたいわけじゃなかった」


握る拳。爪が掌に食い込んだ。
止まらなかった。
構わななかった。
止める気なんて、無かった。

もう二度と会えないあの人。
自分が、あの人の後ろ盾でいられる時間はもう無いのだ。
残り少ない自由な時間。
アッシュフォオードを名乗れる間にすべきことは、全部やる。


「スザクがいいって。スザクに任せて欲しいってあいつが言った。だからそうした!」


悲鳴に近い声。
滲んだ涙で前が見えない。
だから相手がどんな顔をしているのかもわからない。ただ、悔しい。

今もそこに立つこの男の身勝手さに腹が立った。
まるで自分の居場所だという顔をして、当然のようにそこに立つこの男に腹が立った。
まるで自分の力で獲得したような顔で、今日も息をしているこの男。
なにもわかってない何も知らない知ろうともしないこの男に腹が立った。


「私はあの子の、あの子達の幸せを守りたかった!だって最初に言ったのは私、『任せて』ってあいつに言ったのは私だもの!」


桜が舞うあの日。
何の根拠も力も無かった私の言葉、何も知らなかった私の言葉。
何もかも知ってたあいつにすれば、あの時の私の『任せろ』という言葉、なんて無力な響きだったことだろう。
それでもあいつは「ありがとう」って言ってくれた。
彼はきっと、あのときでも復讐に身を焦がしていたに違いない。
きっとずっと先、今日という日まで知っていたに違いない。


「それでも『ありがとう』って言ってくれたんだもん、答えたかった!だって母親が死んだ原因の一族に、あいつは『ありがとう』って言ってくれたんだもの!!」


言っちゃいけない事だってわかってる。でも耐えられない。
どうして?
あの人、何か悪いことした?
殴られたから、殴り返しただけじゃない。
自分の玩具を壊されたから、相手の玩具も壊しただけじゃない。
それが世界という規模だっただけじゃない。


「何がいけないっていうの?」


盾になりたかった。
守りの盾になりたかった。
後方ではなく、前方で。
全ての銃弾から彼を守る盾でありたかった。


「どうして?」


どうして?なんで?
あんたは軍人なのに。守る人なのに。
あの人はもう、一般人だったのに。
幸せになって良かった人なのに。
幸せになれる人だったのに。
静かに、穏やかに。
大切な宝物を胸に抱いて眠れたはずなのに。
あんな鉛球、あの人に相応しくない。
ねぇ、どうして、


「その力でルルーシュを守ってくれなかったの?」


あの人は、いっつもあんたを守ってたのに。
あの人の『友達』のくせに。
『友達』――なんて、眩しい場所。
アッシュフォードの私には、どれだけ努力しても決して手に入らないその立ち位置。
七年の不在を経ても尚、彼はその地位を揺るがず貴方の場所だと言い続けたのに。

日本人の誰もが『スザク』のことを忘れてた。
あの人だけが、ずっと『スザク』の居場所を守ってた。


一年前のあの日。
今は亡き母の愛機を見事な手腕で駆ってみせたのは、あの人の一番の友。
かつての栄光を取り戻した機体の立ち回りを見て、あの人は眩しそうに呟いた。


『俺はもう、お役御免ですね』



ねぇなんであんなことを言わせたの!!






積埃の盾
【剣じゃないから、くたびれたって捨て身で守れた筈だった】



もう、貴方には頼みません。
これからは、私が守ります。
だから返してください、あの人を。


2008.02.01  わたぐも