『頭翅は美しいな』
そう言って彼はいつも私の翅を撫ぜ、瞼にそっと口吻ける。
その度に私は笑って『ありがとう』と彼に返した。
微笑みは微笑み。しかし曖昧な微笑みで。
正直に言えば、私は自分が嫌いだった。
自分の翅が、瞳の色が嫌いだった。
白く薄い翅は味気ない。
深く青い瞳は暗く冷たい。
花のような美しさなどまるでない。
色があるのかないのかわからない何色でもないその色が、あっても冷たく凍えたようなこの色が、まるで子孫を繋ぐ為だけの媒体である己の存在意義の曖昧さを象徴しているようで好かなかった。
私は自分が嫌いだった。
そんな自分より、彼の燃え盛るような朱の方が余程美しいと思っていた。生と太陽の象徴である、力強い翅と瞳。
けれど彼がいつも私を綺麗だと言うものだからつい、『ありがとう』と返してしまう。
本当に思っていることも言いたいことも一つだって言えず、いつも曖昧に微笑んでいた。
『頭翅、行こう』
アポロニアスの行動はいつだって唐突で、私の思考の二枚は上を行く。
今日だってそうだ。
久々に書に耽ろうと思い書庫にいたところ、どうやって居場所を突き止めたのか彼が来た。
確かに許婚のことは愛しいが趣味を邪魔されては些か機嫌が下がっても仕方ないだろう。第一、部屋に入るときはノックをしろ。
しかも。
『行くって、何処へだい?』
『地上だ』
『‥翅無しの土地へ?』
こう来た。
折角の時間を潰され、おまけに翅無しの土地とはどういうことだ。
まさか許婚を連れて翅無し狩りでもするつもりだろうか。私は君と違って狩りを楽しむ嗜好は持ち合わせていないのだが。
あまり乗り気で無い上に臍も曲げ始めた私の様子をアポロニアスは的確に読み取ったらしい。
手を顎に当てて少し考える素振りを見せる。
そして数瞬後、愉しそうにこう言った。
『なんだ、頭翅。怖いのか?』
『っ、怖くなど無いさ!』
‥‥このように。
単純、というよりは意地を張る傾向にある自分の思考も少々好かない。
もし戦場に出る立場であったら命取りになる、と以前彼に笑われた。
地上の景色は美しい。
翅無し如きには勿体無いとすら思うほど、この地は誰の目にも明らかに美しい。
今回地上に降りたのは狩りが目的ではないと聞いた為、純粋に地上を綺麗だと思える。
美しい場所にいて、そして隣に彼がいる。それに何を思うところがあろうか。
現金だと思うものの、既に私の機嫌は直っていた。
『翅無しの醜さが際立って我らの目に映るのは、この地が美し過ぎるからだ』
私の思考を読んだかのようなタイミングでアポロニアスが翅音を震わす。
散策中に彼が言葉を発することは珍しい。悠久の景色を感じる時は決まって黙するのが常だからだ。
『特に空と雲が美しいな』
『空はそうだけど‥‥雲もかい?』
『白き雲と藍の空。そこにあれば互いを引き立てるもの同士だ』
言われた事を噛み締めながら空を見上げる。が、特に何がわかったわけでもない。
空は空。
雲は雲。
それぞれそこにあるだけだと思う。
それ以上、何の意味を何処に求めるというのだろう。
『雲は天翅の翅に似ていると思わぬか』
『色が?』
『全てがだ』
二つが共にあることで互いを誰よりも高め合い、引き立て合う。
片方だけでは駄目だ。
二つが、二色が、共に寄り添わなくてはその美しさに気が付けない。
『覗いてみろ』
わからない、と顔に出たのだろう。
苦笑した彼は両の親指と人差指を触れ合わせて囲いを作った。
言葉で説き伏せるのでは無く別の方法で伝えることにしたらしい。
『今日の君は随分粘るね』
普段なら早々に諦めるのに、と言外に含ませる。が、彼の態度は変わらない。こちらが動くのを待っている。
いつもと立場が逆だな、と思いながらも言われるままに囲いの中を覗く。
見えたのは青一色。切り取られた空だけだ。
『綺麗な色だと思うけれど‥』
『どちらが?』
ス、と移動した指の枠。再度その中を覗く。
そこに在ったのは蒼穹と、一筋の白。
『―――あ。』
クスリと彼が笑った翅音が伝わった。
何がという訳ではない。表す言葉が内にあるわけでもない。
只々、こちらの方が綺麗だと思ってしまったのだ。
『どうだ』
『‥そうだね‥確かに君の言う通り、雲の飛ぶ空の方が美しいね』
『本当にそう思っているのか?』
解かれた囲いの向こうから、疑う様な響きを帯びた翅音がした。
まるで信じて貰えてないような相手の応答にムッとした。
『思ってるさ』
挑むようにして見上げた広く澄んだ青い空。
その景色には、愛しい天翅がとても優しい顔をして映えていた。
『群青の空は、頭翅の瞳の色だ』
あの日君が愛でてくれた瞳と翅。
私の瞳はまだ、
あの日の空色を覚えていますか?
【翅の色は変わらない。瞳だって濁っていない。―――そう、信じてる。】
誰の翅でも美しいわけではない。
誰の瞳でも美しいわけではない。
君が翅と瞳を持つから 美しい と言ったのだ。
2007.10.1 わたぐも