「―――リロイ…」


ぼうっと窓の外を眺めていた俺を遠慮がちに呼ぶ声がした。
振り向けば不安そうにこっちを見ている相棒。

こいつをそんな表情にさせている原因である俺は呼びかけへの返事にと出来るだけ優しく笑ってやる。


普段その笑みと共に漏れるはずの軽口もからかいの言葉も、俺の口からは紡がれなかった。







良薬、口に甘し






昨日の昼過ぎだったと思う。

街に着いた途端雨が降ってきた。
だから宿探しよりも先に雨宿りを兼ね通り掛かりの食堂に駆け込んだ。
そして俺は遅めの昼食を、相棒は紅茶をすする。

雨音しかない静かな街。
しかしその静寂は唐突な甲高い悲鳴に掻き消される。
街に<闇の種族>が攻め込んできたのだ。

人々が逃げ惑う中、俺はその間を分け入り嬉々として未だ雨の止まない通りに飛び出す。
後ろでは紅茶を片手に相棒が溜息をついていた。


通りに溢れる<闇の種族>は下級眷属。 馬鹿みたいに数が多いだけではっきり言って何匹いようが俺の敵じゃない。
そんなお遊びにもならない相手に大した警戒もしていなかった。


それが油断。


一瞬の隙を着いて繰り出された攻撃。


「リロイ!」


その標的は俺を追って食堂から出てきたばかりの―――相棒だった。








「……まだ…声は出ないのか?」


覗き込んでくるその表情には悲痛な色しか浮かばない。

お前がそんな顔をする必要なんかどこにもないのに。


「……すまない……」


そう呟いて顔を伏せた相棒は今にも泣き出しそうだった。
これ以上、そんな顔を見たくなくて俺は俯く相棒を引き寄せその額に軽い口付けを落とす。

お前が気にすることじゃない、そう意味を込めて。


「………」


なのに、何故か相棒の顔はますます曇ってゆく。


「…私は…いつもお前に甘えているな…」


意味がわからず俺は怪訝な顔をする。


「…あの時、私の代わりに受けた一撃で…声が出なくなって辛いのはお前だ。 ……なのに今もまた…私はお前に庇われている……」


……あー、さっきのをそういう風に捉えたか。

『お前は何でも難しく、悪い方に考え過ぎだ』

そう言ってやろうと口を開くが声が出なかった。
間抜けに開いた俺の口はへの字に曲がる。


「……わかっている」


その顔に浮かぶのは苦笑。


「まぁお前の場合は何でも簡単に、そして良いほうに考え過ぎだがな」


薬を取ってくる、と言って相棒は隣の部屋に消えていった。







―――あの瞬間に過ぎったそれは、身も凍るような恐怖だった。



そう遠くない最近のこと。
あの時も確か雨が降っていた。

吹き荒れる嵐の中、言われてたどり着いたそこで俺が目にしたのはアレクシオと対峙して片腕を失くし、 胸には大穴を空けて地面に横たわったままぴくりとも動かないお前だった。


―――死んだのか?


大切な、かけがえのない者が目の前から、この手の内からいとも簡単に消えてゆく。
掴んだと思えば砂のように零れ落ちるそれは今まで何度味わったかも知れない想い。
今までに抱いたその感情。
大半を占めていた感情は自分を置いて逝ってしまう者への、そして護れなかった不甲斐ない己への熾烈な怒り。

しかしあの時。
お前を見て過ぎったあの感情は今まで、誰に対しても感じたことの無いもの。
瞬間的に頭を過ぎったそれは―――紛れも無い、恐怖。


そして今度こそ。
あの時恐怖したあの情景が現実の物となり俺の目の前に無情に広がるのではないか。


―――アイツヲ、ウシナウ―――


その時、何故そんな行動を取ったのかは覚えていないし、わからない。
気が付けば体が動いていた。



泥混じりに溢れ出るのは俺自身の黒血。

感じるのは汚れるのも構わずに膝を付いて俺に縋り付くお前の腕。

耳に入るのは狂ったように俺の名を叫び続けるお前。

瞳に映るのは何かに怯えるお前の顔―――



雨に打たれ水が滴るその顔は、まるで涙を流しているようだった。







目が覚めて映ったのは、明るい部屋と白い天井。

己の手をかざしてみてやっと自分がベッドに寝かされていることを理解した。


「―――リ、ロイ…?」


震える声のする方向に視線を向ければベッドの脇に腰掛けた相棒がいた。
その姿を見て俺は相棒を失っていなかったことに安堵する。

そして『よぉ』と言おうとしたが声が出ない。
不思議に思い、首に手を伸ばせば何故か包帯が巻かれていた。


「…あの時……首を切り裂かれて…傷自身はもう塞がっ、た…ようだが…」


頭上に疑問符を浮かべる俺に途切れがちな声で相棒が襲撃後の経緯を説明してくれた。

あー、そりゃあ喉裂かれちゃ声なんか出ないよな。
傷か塞がってるだけでもマシだ。
何度も助けられたが相変わらずいい加減なあの治癒力のお陰で声帯は未だ治療中、ってとこなんだろう。

そう自分で適当に当たりを付ける。
もげた腕がまた生えてくるくらいなんだから大した心配はしていない。

そうして今自分が置かれている状況には納得したが、するとまた一つ疑問が浮かんだ。
いつもなら俺の無謀さに説教を開始する相棒が何も言わない。


「……?」


疑問のままに相棒を見れば俺の手を強く握りしめてきた。


「……死んだかと…思った…」



声が出なくなる程の傷を受けた屈辱よりも。
あの程度の攻撃で意識を飛ばした憤りよりも。


震える指先にか細い声と揺らいだ瞳、そしてその耐えるような表情が何よりもこの身を抉った。








「リロイ、薬だ」


戻ってきた相棒のその言葉に俺の顔が強張る。

今俺は例の体調不良のおかげで回復力が低下している。
だから薬を飲め、と言うのが相棒の持論。


「……リロイ」


俺は目を逸らして『飲みたくない』と意思表示する。
しかしその俺のささやかな抵抗を見つめる相棒の瞳は冷たい。
あんなに可愛かったさっきまでとは雲泥の差。

自慢じゃないがコーヒーもブラックで飲めない俺がそんな馬鹿みたいに苦い薬なんて飲めるわけないだろ。
今日の朝、起き抜けに訳もわからず無理矢理飲まされたときは本気で死んだと思った。
大体、その薬が効くなんて保障は無い。はずだ。


「リロイ」


『うっさい、嫌なもんは嫌だッ!』


薬を手に溜息交じりの相棒。
そっぽを向いて断固拒否を貫く俺。


「ッ!?」



膠着状態の中、突然引かれた腕。
何が起こっているのかわからなかった。

感じるのは頬に添えられた冷たい両手。

耳に入るのは悲痛な叫びでも雨音でもない、特有の水音。

瞳に映るのは碧眼を瞼の奥に隠した整った顔。


そして、俺の唇に触れる―――


「……確かに、苦いな……」


濡れた唇を拭う相棒が視界に映る。


「次は夕食後だからな」


そう言い残し、すたすたと扉に向かう後ろ姿を俺は言葉も無く呆然と見送る。



初めてだったアイツからの口付けは薬どころか身の内に巣食った苦い想いすら塗り潰せるほどに甘かった。






シリアス目指したのにいつの間にか甘い話に摩り替わってる罠。
何処でだ。そして何故だ。(深く悩む)
積極的なラグを書きたかったんです。
リロイもラグも失うことを凄く恐れている子だと思う。


05.4.25  わたぐも