食後、食器を洗っているところ。
雨音に蛇口からの水音を重ねたのは俺。二重奏。
キッチンの窓からピカッと閃光が走り次にゴロゴロ音がした。これで三重奏になりました。


「あ、雷」


水道管を伝って感電したら嫌だな。落ちたら停電するかもしれない。
ええと懐中電灯は何処に仕舞ったっけか。二週間前に町内会の肝試しに参加した時に使ったからその辺りにおいている筈‥とその前に。


「ギギナーテレビ消せー」


台所からリビングに指示を飛ばす。
雷が落ちれば故障する危険を孕む電源オンのテレビのまん前のソファ、の前に鎮座して画面を凝視しているのは預かり子である子ども。銀髪だ。

最近の彼はゴールデンタイムのアクションアニメにご執心。
ガユスの家に居候して初めてテレビという存在を知ったらしい。
因みに「これ以上音大きくした直後の飯はピーマンの肉詰めの肉抜きだからな!」と、ガユスが脅しつけて以来、音量の上限はきっちり守られている。食の力は偉大なり。
しかしどうだろう。
普段なら何かしら反応(従うかは別として)があるのだが今日は微動だにしてくれない。水の二重奏が重なって聞こえなかったのだろうか。

手についた泡を洗い流して蛇口を締める。濡れた手は適当に手拭で拭った。
向かったリビング。子どもは尻と両足、両手をぺたんと床に付けた体勢(所謂アヒル座りだ)のままで固まっていた。


「ギギナ。テレビ消すぞ?」


録画してあるから後でも見れるし。
声を掛けるがまたも無反応。この距離で聞こえないことは無いだろう。
無視かこのチビ、と思って、気付く。
様子がおかしい。嫌な感覚。それは直ぐに思い当たった。

(‥目、だ)

焦点がおかしい。
テレビを見ているのに見ていない。此処じゃない。ならば何処を?知ってる。彼処、だ。


「ギギナ!」


呼びかける声のボリュームを上げたのと窓の外が光って音がしたのと、あとギギナの肩が大きく揺れたのは同時。
続いてリビングの照明が落ちる。停電。テレビもオフ。暗闇。


「‥‥ギギナ?」


暗い室内。
再度光る室外。
轟く音の中で確かに跳ねる細い肩。

(―――‥嗚呼そうか)

成る程納得、此れは此れは。
理解してしまえば悪戯心が芽生えるもの。口を開いてみることにする。



「‥おまえ、」
「怖くないッ!!」


俺の声に被せるようにギギナが叫んだ。
それからはっとした雰囲気が伝わってくる。曰く、しまった。
けれど既に遅し。後悔とは後でするもの。今回ばかりは強がりが墓穴を掘った。

思わず「怖いって、何が?」と聞いてやろうかと思ったけれどやめた。
その代わりに、黙りこくってしまった子どもに後ろからぎゅーっと抱きついてみた。
小さい体が嫌な汗をかいているのがわかる。
少し高めのはずの体温が冷たい。
汗を息を詰めるギギナの心臓がばくばくいってる音が聞こえそうだった。聞こえないけど。
つまりそういうこと。

ギギナは雷が怖いのだ。

恐ろしいのは音か光か地響きか、あるいはそれ以外の要素なのか。
確かなのはその感情が既に苦手というレベルの範囲にはいないこと。

雷が怖いというギギナを「愛らしい」とは思わなかった。
‥多分、同情してる。肉親でも親戚でも無かったギギナをガユスが引き取った経緯を思えば当然かもしれない。

(引き取った、じゃない。預かった、だったな)

ギギナを引き取ると決めた時の騒動を思い出して苦笑する。
自分の家柄に感謝したのは後にも先にも、数ヶ月前のあの時が初めてだった。


リビングに響くのは雨音だけ。
今度は自分の声を重ねる。


「停電したな」
「‥‥」
「真っ暗だ」
「‥‥」
「俺じゃあ、なんにも見えないな」


胴色の瞳がおずおず上目遣いに見上げて来た。
反応したのは俺の「見えない」という言葉。
本当の事を言えば「見えない」というの嘘だ。俺の眼球は既に明暗の差に対応できている。
ただ、「見えない」設定にしておいた方がこの場は有益だと思った。それだけ。つまりは方便。

銀の瞳は未だじっと俺を見ている。
いつもはツンと澄まして凛々しいそれに少し不安げな色が混じってるのが見える。たまらなく愛しかった。
更にぎゅーっとしたくなったが細い肩が折れたら困るので今夜は抱擁時間の延滞で我慢する。



「‥なあ、ギギナ」

俺は出来る限りの、いやそれ以上、限界を超えた柔らかい声を出す。
人肌と声に滲む優しさを感じ取って少し安心したらしいギギナの瞳には安堵が滲み始めていた。
見上げてくる顔が幼い。二週間前と同じ顔。
いつも強がって突っぱねている癖に、たまにそんな顔をされては少し寄り添えたような気になってしまう。
俺は未だ、おまえのことをあまり知らないのに。おまえだって、俺のこと何も知らないだろうに。

未だ停電したままのリビング。
ギギナを抱きしめる腕の力は変えていない。
少し高まった体温と小さな身体。もの言いたげに薄く開いている唇。
俺は緩む頬を隠そうともせず、極上の笑顔で言った。



「今から、おばけのこっわーい話をしてやろう」








【君は小悪魔、俺は悪魔!】
あーやっぱ無理我慢無理だって可愛いんだもん苛めたい!



仔ギギがガユスに心開かないのは、ガユスが優しい大人を演じた直後に自分を地獄に突き落とすからだと思う。負のつり橋効果。


2007.9.4 わたぐも