「言ったよな?俺は昨日、おまえに言ったよな?」
「だって担任の先生誰か知らないもん」
「四月だぞ」
「何月だって知らないものは知らないもーん」
「だからって帳簿持って帰る馬鹿が何処に、」
「はぁーい!」
「呑気に手ぇ振ってんじゃねぇ!!」








蒼穹の涙と雷轟







「まだ文句言ってるの?」
「当たり前だろ!二日連続で日直なんざ!」


放課後。
昨日、日誌を担任教師に提出し忘れた二人は二日目の日直当番となっていた。
片方はとばっちりを喰ったに等しいが。


「ごめんなさいって言ってるのにー」
「‥‥おまえ、本当にそう思ってるか?」
「だから今日はオレが黒板消し、黒たんが日直日誌なんでしょ?」
「その妙な呼び方やめろ!」
「じゃ、黒りんた」
「同じだろ!」


そんなにガミガミ怒鳴って疲れないのかな、と思ったが、言わない。
言えばもっとガミガミ怒るのは容易に想像できたからだ。
なんて分かりやすい人。


「手ぇ動かせ」
「はーい」


そして、口煩い人。

黒板の脇にある小さな機械。側面の黒いスイッチをオンにする。
ヴーヴーとけたたましい音を立てながら、クリーナーがチョークの粉を吸おうと張り切りだす。

オレは一つ目の黒板消しに全体重を乗せた。








「‥つ、疲れた‥」


季節と体質で汗だくにはならなかったが疲労感は十分だ。


「どんだけ時間掛かってんだ」
「オレこんなに頑張ったのに労いの言葉はないのー?」
「元はてめぇのせいだろ」
「あーあー指先真っ白だよぅー」


あからさまに話を逸らせば眉間の皺が増えた。
しかし気にせず更に話題を変換。


「オレのことより、そっちはどうなのさ」
「とっくに終わってる」
「チェックしまーす」


気持ちフラフラな足取りで彼の座す席へ向かう。
開かれた日誌、黒鉛が擦り付いているのは左側。
昨日オレが書き込んだページの裏だった。


「おお。現国教師名が埋まっている」
「調べりゃわかんだろ」
「昨日はわかんなかったじゃない」
「昨日から何時間経ってんだよ」


大きな体格して、意外に几帳面だ。
ふんふん言いながら日誌の各項目に目を通してゆく。
そして。

(―――あ。)


『ファイ・フローライト』


帳簿に記載された二度目の名前。

(‥名前、覚えてるんだ)

昨日は「ファイ」としか名乗らなかったのに。
ズキンと響くものがあった。

『ファイ』

もやもやする感情。
吐き戻しそうになる。
お門違いなのはわかっている。
けれど、どうしても、どうしようも――。


「おい?」


無愛想な声が耳に入る。
条件反射で返事をする。


「や。黒っちは達筆だなぁ、と」


そしてへらりと笑って見せる。
見止める鋭い眼光が、更に赤く細まった気がした。
しかし直ぐに「そうでもねぇよ」とぶっきら棒な声。真偽はわからない。

パタン、と日誌が閉じられた。
日誌を持って立ち上がった彼が、ふと話しかけてきた。


「黒板は終わったのか?」
「ばっちりー」
「本当か?」
「うっわ、疑い深!」


「新品みたいでしょ?」、と誇らしげに二つの黒板消しを掲げる。
あれほど四苦八苦してクリーナーの上を往復させたのだ。ラシャ状の布地はすっかり綺麗な青色を曝していた。


「ちょっと貸せ」


掌が促すままに手渡す。
文庫本サイズの黒板消しは彼の大きな掌にすっぽりと収まった。


「ねね?ちゃんと綺麗になってるで――」
「チェックしてやるよ」


それは突然の暴挙であった。
突如、彼は両手に持った黒板消しを叩き合わせたのだ。
そんなシンバルじゃないんだから!!


「なっ、なに‥げほっ!?」


思わず声を上げた拍子に上がった白煙を吸い込んだ。
咽るし咳き込むし目は痛い。涙も出てきた。鼻水はセーフ。

前の見えない白煙が立ち込める中でまたも四苦八苦しながら、「あれだけ綺麗にしたのにまだこんなにチョーク粉が」と物悲しくなった。
頭上から声がした。


「鏡」
「う、ぇっ!」
「見て来いよ」
「ふ‥っ?」
「おまえ、今、すげぇ顔になってんぞ」


薄らぎ始めた白煙の向こう。
ニヤニヤしてる顔。
いじめっ子が見えた。
ムカッとした。


「〜〜〜黒たんがやったんでしょっ!!」



こんなにも声帯を震わせたのは数年ぶりだった。








蒼穹の涙と雷轟


どんなにお綺麗な外面だって、叩けば塵はいくらでも

高校生の各々にやって頂くことをギュギュギュと詰め込みました。


2007.11.15  わたぐも