「そんな軽装で何をしている?」
戦にでも行くのだろうか。
黒い装束に身を包んだ一団の中の一人、ひと目で長だとわかるその人がオレたちに何事かを話しかけてきた。
「‥‥誰だ?」
―――ああ、君にはその言葉がわかるんだ。
一瞬、彼の元いた国に辿り着いたのかと思った。
けれど君の横顔に滲むたくさんの警戒に半分の不審、そして僅かな好奇心からそうではないのだと理解して、オレは溜めていた息を吐いた。
(‥‥何、ほっとしてるんだろ‥)
元いた国に帰ることが彼の願い。
それが叶っていないことに安堵している自分。
(‥‥オレってイヤな子ー‥)
知らない言葉を交わす背中を見ながら自嘲気味の笑顔を作り、
逃げるように思考を移す。
(モコナも一緒だろうし、あの子達は大丈夫)
先の国でも子ども達と離れていたが、言葉は通じていた。
けれど今ではあの子達とどれ程離れているのかもわからない。
それどろか、離れているで済むのかすらわからない。
(例えモコナがいなくたって、小狼君とサクラちゃんは言葉が通じるし‥‥)
この人だって大丈夫。
「旅をしてる」
(‥なに話してるんだろー)
見知らぬ音が耳に入る度にその意味が気になって仕方が無い。
君にわかってオレにはわからないその内容。
「二人でか?」
ねぇ、ここは何処?
「他に二人と一匹いる」
ねぇ、オレは今何処にいるの?
「名は?」
ねぇ、今、何のお話してるの?
「黒鋼」
ねぇ、その言葉はどんな意味なの?
「後ろの者は?」
ねぇ、なんでその人はオレを見てるの?
「あ?」
ねぇ、何を聞かれてるの?
「連れなのだろう?」
ねぇ、今オレの話題なの?
「こいつは」
ねぇ、君は
「‥‥こいつ、は‥」
オレを見ながら何を逡巡してるの?
「‥‥ファイ」
ねぇ、今はなんて言ってるの?
その言葉は何なの?
「‥‥口が利けねぇ」
わかんないよ
通じないよ
聞こえないよ
つまらないよ
「ファイというのか」
陣社で泣いていたあの像と同じ顔しをしたこの人がオレに何か言葉をかけてきた。
対してオレはそれには答えず微笑むだけだが、相手が特に気分を害した様子はない。
どうやら彼が上手く話をつけたらしい。
(‥‥君にそんな交渉力があったなんて知らなかったよー)
話が進む間にも後続の一人が馬のような生き物をオレ達に渡してくれた。
信用ついでに移動手段、この調子だと寝床もしっかり確保しているのだろう。
(意外とちゃっかりしてるんだ)
何度か一緒に国を回ってる間で君の事はあらかた分かったつもりでいた。
短気なようで思慮深いのは知っていた。
人と話すのは苦手なようで、交渉なんていつも小狼君やオレに任せていたのに。
不器用なのだとばかり思っていたのに。
「口が利けぬといったが、病か?」
「そんなんじゃねぇ」
(―――なんだか、君が知らない人みたいだよぅ‥‥)
「ああ、もうひとつ一つ聞きたいのだが」
長い黒髪の人が思い出したようにオレを見て口を開いた。
「おまえは黒鋼の連れ合いなのか?」
話しかけられたのはオレなのに、何故か隣の彼が突然大声で怒鳴り出した。
それを見て周囲が笑う。
オレだけが何が楽しいのかわからない。
けれど一緒に笑えず取り残されているオレを見ても誰も不審がる様子は無い。
大方、オレのことは口が利けないとでもしたのだろう。
(‥‥差し詰め、オレはお人形さんってところだねー)
別に構わないよ。
今までだってずっとそうだったし、他人の顔色を伺うのは得意だから。
そうだよ、よく考えたら
(‥‥わかんないからつまらないって思う意味がわからないや)
「話は付いた。おまえのことは―――って、通じねぇのか‥‥」
ガシガシと頭を掻いて眉間に皺を寄せる。
もう赤くない瞳にオレは笑いかける。
(大丈夫、うまくやれるよー)
ちゃんと伝わったかはわからない。
だって彼が見せたのは眉間に皺の寄ったいつもの不機嫌顔だったから。
「おまえ‥‥」
埒があかないと思ったのか、彼は溜息一つを吐いてそれ以上話すのを止めて渡された馬に乗る。
そしてオレを見下ろした彼はオレに向かって真っ直ぐに腕を伸ばしてきた。
「行くぞ」
差し出されたその腕をオレは笑顔ですり抜け、彼の後ろに腰を掛けた。
大丈夫だよ
うまくやれるから
助けなんか要らないよ
本当だから
自信あるもの
誰にも頼らないよ
ちゃんと、一人で立てるから
関わらないから
何も感じないから
(‥‥‥だから、大丈夫だよー‥)
横目でオレを見た彼がまた眉間の皺を増やして何か言おうと口を開いたけれど、
声を掛けてきた周囲への怒鳴り声に変わった。
―――お人形であることですら、オレには勿体無いよ
だた、彼が俺を見ながら口にした逡巡交じりのあの音だけが
ずっとずっと馬鹿の一つ覚えみたいに
からっぽのオレの中で反響してた
差し出されたその手には、一片の打算もなく
だからこそ、オレの知らないその手を取るのに無意識の恐れを抱いた
夜魔ノ国一日目。
黒鋼がファイの名前を初めて呼んだのは夜魔ノ国だと信じてる。(…)
「手を出すな」って言われた時のファイが仮面笑顔だったので
山あり谷ありの半年だったに違いないと勝手に確信してます。
2006.8.6 わたぐも