・黒ファイのファイの本名は『ユゥイ』です。
・しかし自身は『ファイ』と名乗っています。
・片割れのことは公の場では『ユゥイ』、黒鋼の前では『ファイ』と呼びます。
・双子片割れの本名は『ファイ』です。
・しかし自身は『ユゥイ』と名乗っています。
・黒ファイのファイのことは公の場では『ファイ』、黒鋼の前では『ユゥイ』と呼びます。
・黒鋼は双子が名前を取り替えて名乗ってることを知っています。
・要は双子は公の場ではお互い名前交換して名乗ってるけど、黒鋼の前では本当の名前で呼び合ってるよ、ってことです。
・あとこの話は堀鐔(ver現代)です。
「そういう訳なので、わからないことは教えてください」
「兄貴に聞け。俺のところには来るな」
「それって職務怠慢なんじゃない?」
「おまえは生徒じゃねぇだろ」
じゃあね、と笑声が遠ざかる。
今黒鋼と話していたのは化学教師―――ではない方。
皆が「そっくりだ」と声を揃える金髪の双子。
けれど黒鋼は二人が似ていると思ったことはない。
双子だということは学生時代に聞いていたが、実際にその片割れに会ったのはつい最近、たったの二週間前だった。
初対面。
白衣を纏った化学教師に当然とばかりに抱きつかれた黒鋼は間髪入れずに「おまえ誰だ?」と聞き返した。
そんな体育教師を周囲は訝しげな顔をしたが、抱きついたままだった『ファイ』は腹を抱えて大笑いした。
曰く。
『凄いね、君はわかるんだ?』
片割れの接近に全く気付かなかったあの件は今思い出しても胸くそ悪い。
しかし周囲の鼻を明かしたことには満足していた。
―――そう、見てくれだけで騒ぐ周囲から明確な一線を記したことに。
愛情講義は自己採点
「好きなの?」
昼休み。化学準備室。
今、目の前に座って手作りの弁当を広げているのは朝方対面した双子の兄、化学教師の方。
目線も合わせず一言だけ言い放った彼のマグカップに注がれたミルクとコーヒーの半々(と淹れた本人は言い張るがどう見てもミルクが9だ)にたっぷり砂糖が入った飲み物は黒鋼が部屋を訪れた時からちっとも減っていない。
毎度のことだが、その白米と牛乳という組み合わせはどうだろうと思う。
以前、そのことについて一度言及したことがある。
すると「そうかなー?うんわかった、次から気をつけるよー」と笑顔で返事したその日の夕食がミルクリゾットになったのでそれ以来一度たりとも言葉にした事は無い。疑問に思いはすれども。
「黒鋼は無口だ」とよくこの化学教師は言う。
しかし黒鋼にしてみれば無口になるのはいわば報復(主に牛乳)に対する自己保身であって必要必須のスキルである。
大体、ファイのやり方が陰険なのだ。どうでも良い事はべらべらと喋るくせに、肝心の事は何も言わない。利などないのに貯蓄宜しく腐りきるまで溜め込んだり、一人でさっさと決めてしまう。
無駄なことやってねぇで言いたいこと、思うことがあるなら口で言え。
自分のことは棚にあげ、黒鋼は常々そう思っていた。
そんな喋り無口であるファイが本日、身の内に溜め込んだらしい鬱憤を晴らすのに珍しくも言葉を用いた。
明日は雨かもしれないな、と思った。言わないが。
しかし残念、イエスかノーで答える問いではあるが、一体何を問われているのか黒鋼には心当たりが無かった。
「何がだ?」
「‥好きなの?」
問い返せばファイは苛立ったように同じ台詞を繰り返した。
―――こりゃあとことん珍しい。
普段、ぼさっとしていると見せかけて実は強か、嫌がらせの最中だってポーカーフェイス。たまに言葉で攻めてみても情勢不利とみるやふわりとかわす。
それほどまでに頑なに人に腹を見せないこの男が、こうも苛々を全面に押し出して己を律し切れずにいる。
裏を返せばそれだけ言いたいことやら鬱憤が溜まっているのだろうが、しかし悪いことに(不本意ながら)その原因らしい黒鋼には何を問われているのか全く持って分からない。
「古文じゃねぇんだ、主語、あと目的語を省略すんな」
「‥‥もう、いい」
はぐらかされたとでも思っているのか、ぷい、と頬を膨らましてそっぽを向かれた。
その様がまた妙に似合っているのが恐ろしい。
「何拗ねてんだ」
「拗ねてない」
「拗ねてんじゃねぇか」
「な・い・で・すー!」
いーだっ!
歯並びは真っ直ぐ。しかし臍は完全に曲がった。
トドメは胃腸が弱いくせに苛々とマグカップの中身を一気飲み。
‥‥己の口下手を苦く思うのはこんな時だ。
ファイが言うことも一理ある。自分は喋るのが得手でありながらも無口を気取っている訳ではない。
しかし今朝方会ったこいつの片割れならば、この程度の遣り取りで、たかが一度粘ったくらいで引き下がり、小リスよろしくまた懐に鬱憤を溜め込むような性格はしていない。あれも大概『イイ性格』だ。
「ガキがおまえは」という感想が浮かんだが口には出さず胸に仕舞った代わり、呆れ半分にぼそりと呟いた一言。
「‥本当、似てねぇ双子」
―――それが地雷であった。
「そうだねッ!ファイの方が絶対的に素直で可愛いもんねッ!!」
物凄い目で睨まれた。‥‥ファイ?あの片割れ?
「ああ?なんでいきなりあいつが出てくんだよ?」
「だって!!」
「あと、あいつのどこらへんが素直でどのへんが可愛いんだよ」
「ちょっと!ファイは全部が素直で全部が可愛いでしょ!!」
「待て。話がずれたのは分かったが、肝心の主題がまったく掴めねぇ」
全く噛み合わない会話、否、相手は噛み合わそうとする気も無い。
きゃんきゃんと一方的に撒くし立ててくる怒声に頭痛がした。
怒声は統一性皆無の言葉を紡ぐ。
それに一々返してやる己は確かにお人好しかもしれないな、と思った。
ぜぇぜぇと肩で息をするファイは、ぽすん、と音を立てて椅子に腰を落とす。
散々喚いた果て、叫び疲れたのだろう。
ごつん、と音を立てて額を机に付けた。
「‥ねぇ。」
怒鳴ったと思えば今度は急にしおらしくなる。
今日は一段と感情の起伏が激しいな、と黒鋼は思った。
「‥‥好きなの?」
「だから何がだ」
「‥‥」
「おい?」
「‥‥ファイ、来週から、先生なんだって」
ぼそぼそと声がする。
相変わらず机に引っ付いて俯いているから、どんな顔をしているのかは全く見えない。‥わからないわけではない。
「らしいな。今朝、鉢合わせた時に聞いた」
「‥‥赴任先」
「それも聞いた」
「堀鐔学園‥って」
「ああ」
「‥‥‥」
「それの何が気に入らないんだよ?」
「‥‥‥‥ファイも黒鋼が好きになっちゃうかもしれない」
予想外の言葉に、持ったままだったカップを落としそうになる。口に含んでなくて心底良かった。
何を根拠に、と言うより速く『ユゥイ』の口が動く。
「だって、双子、だもん」
ぼそぼそとした声は変わらない。
けれどその声音に違う音が混じった。
「双子だもん。一緒だもん。オレとファイは同じだもん。‥だから‥黒鋼、も‥ファイを、好きになっちゃうかもしれない、じゃん」
―――‥泣きそうな声をしているな、と。思った。
「そしたらオレ、‥勝てない。無理。ファイが黒鋼、好きになっちゃっても、オレ、ファイには、勝てない‥‥勝てないよ‥」
勝負する前から負けることを前提とした言い分。
ずっと、ずっと前の自分ならきっと「勝手に言ってろ」と言って突き放した。
立ち上がる気力も無い奴のことなど知ったことか。ずっとそこで蹲ってろ。
そう言い放つだけ、己の歩みを止めることなどない。前だけを見てただ進む。
けれどそれはもうずっとずっと前の話。
自分では立ち上がる力もない生き物がいることを知った。
そんな生き物が、少し力を貸してやるだけで立ち上がるどころか歩むことさえ出来るのだと知った。
雛ですら親から羽ばたきを教わるのだ。ならば人とて同じこと。
『それって職務怠慢なんじゃない?』
言葉だけ見れば上手く返した冗談。しかし声音は小馬鹿にしたようなそれの朝の会話。
あれは片割れからの忠告文で挑戦状。
ならば受けて立つまでだ。
指導は教師の本分、負けず嫌いは自分の性分。
項垂れている生き物に教授すべく、黒鋼は口を開いた。
「阿呆か」
一蹴。
それにいち早く反応した項垂れた金髪の頭ががばりと上がり、白い指がバンッ!と机を叩いた。
その拍子、波々注がれたままだったマグカップの中身が揺れて少し零れる。
「っ、君より!オレの方が!ファイのこと知ってるのッ!」
―――その台詞じゃあ双子の片割れを取られるのが嫌なのか、恋人を取られるのが嫌なのかわかりゃしない。
言ってることが支離滅裂だ。が、敢えてそこを追求はしなかった。
ファイが感情を露わにまくし立てる滅多にない機会をみすみす潰しはしない。
ポーカーフェイスを気取る魔術師のようなこの男の普段見せない焦燥が、自分への執着という意味を併せ持っている事実が心地よかった。
憤りに震える白い掌が、ぎゅっ、と握りしめられる。
机上から指が剥がれる瞬間、叩き付けた衝撃で掌が赤くなっているのが見えた。
「おまえは相変わらず、俺の意見を素無視だな」
馬鹿にされたと思ったのか、むっ、と口がへの字に曲がる。
‥‥本当に、何処のガキだ、と思った。
「確かに、おまえは俺よりあいつの事を知ってんだろうがな」
「当然だよ」
「なんでそこだけ堂々なんだ」
「だってファイは、」
「あーいい。そんなの聞く気ねぇからおまえちょっと黙ってろ」
「ちょ、ファイの何が気に入らないっていう―――」
「俺が話してぇのはおまえのことだけだ」
ぴたり、と。
ファイが口を噤んだ。
己の言葉の何処が利いたのかは分からなかったが、しかし此れ幸いと黒鋼は言葉を続けた。
「おまえが嫌がろうが逃げようが鈍臭くグランドでずっこけてようが関係ねぇ。そん時は頼まれなくても首根っこひっ捕まえて無理矢理起こす。だから無駄な心配してんじゃねぇ」
それはいつかの昔にも言った台詞。
最も、あの時はグランドではなく、赤信号の横断歩道、そのど真ん中で突っ立ってやがったが。
「それに少なくとも、俺はあいつよりおまえのことを知ってる。嘘と思うんならあの片割れ引っ張って来い。勝負でも試験でもなんでもしてやる。受けて立つ―――負けるつもりはねぇよ」
ぽかん、と。
まるで自分が空を飛べる生き物である事を初めて知ったような顔。
こればかりは何度見ても新鮮な顔だと思う。
「おい、聞いてんのか?」
「っ、はぃっ!??」
「声裏返ってんぞ」
目は泳ぎまくってるし、顔が赤いのもいつものことだ。
毎度のことだが何を動揺してるんだ。自慢のポーカーフェイス気取りはどうした、地が出てんぞ。
今日こそ言ってやろうかとも思ったが、やっぱり思うだけにした。
伝えたいことだけを伝えればいいから。
「あと」
「っ、ま、まだあるのっ!??」
「最初の質問の答えだが」
「俺のことは、あいつよりおまえの方がよく知ってんだろうが」
‥黒たんは喋りすぎなので平点がゼロ点だ。
そう言って化学教師が天井を仰いだ。
ファイは黒鋼と片割れが仲良くなるのは嬉しいけれど、でもやっぱりちょっと嫌なのです。
(いろんな意味で)二人の恋の障害は双子の片割れ。(恋敵でもあり小姑でもあり。笑)
2007.8.4 わたぐも