『黒鋼、頼まれていた本はこれで良いですか?』
『悪ぃな』
『黒鋼が料理をするなんて、明日は雨どころか槍が降りますわね』
『俺じゃねぇ』
『あら』
『ファイは料理が不得手ですの?』
亀さんをひっくり返せ!
「‥『いちょう切り』‥って何だろう‥」
『胃腸切り』?
でもこれ、どう見ても肉じゃなくて野菜切ってるよねぇ。
「‥『落としぶた』‥?‥また肉が‥」
日本国は肉料理が多いのだろうか?
だから黒鋼も図体ばっかりでっかくなるんだ。きっとそうだ。
ついでに態度もでかくなる。だって生意気だ、年下なのに。
「あ、でもお姫様は可愛らしい方だったなぁ」
「あら、ありがとうございます」
「いえ、滅相もございませ‥ん?」
独り言に返事が来た。
あれ?と思い、齧り付いていた本から顔を上げる。
「お勉強ははかどっていますか?」
「とっ‥知世姫様っ!?」
ぽかぽかと陽気の良い昼下がり。
一休みによさそうなこの木陰を見つけて数日、ファイは時間を見てはこの場所で本を読んでいた。
ぎゃあ!と叫びたいのを堪えて居住まいを正す。
いくらなんでも油断しすぎでしょう、オレ!
「ファイはやはり背が高いですわね」
「はいっ!え、あああのっ!先日はこの本、ありがとうございましたっ!」
「いいえ、どういたしまして」
にっこりと「何かあったらまた遠慮なく仰ってくださいな」と微笑まれてしまった。
だから遠慮なく「いくら城内でも、供も付けずに歩かれては危ないです」と進言すれば、「ではその代わり、何かあればファイに言いますね」と返された。あれ?
「日本国の言葉はもう?」
しかしその意味を考える間も与えられず、話は進む。
眼前の姫の上品な笑み。
絶えない微笑みは、遠く離れたところにいる自分の姫を思い出させる。
忘れた訳では無いけれど、思い出すことが多いわけでもない。
元気でいるかな、と思った。
「話す方はなんとか」
「敬語と話し言葉との使い分けもできていますものね。ああ、でも私が相手でしたら黒鋼のように敬語を使わなくても構いませんわよ」
「そっ、そんな訳にはいきません!」
「黒鋼もファイに礼儀作法を習えば、蘇摩のような良い忍者になりますのに」
良い忍者ってどんなだろう?
ふと思ったが口には出さなかった。
だから過去に黒鋼も同じ疑問を抱いたことは、ファイは知らない。
だから自分が姫に遊ばれている事も、ファイは知らない。
「けれど文字は簡単にはいかないようですわね」
脇に放り出された辞書を指して知世が微笑むのに、ファイは苦笑しか返せない。
黒鋼から渡された辞書が手放せない状態なのは否めない。
次元の魔女に頼めばもっと手っ取り早くなんとかなるのだろう。
だが、ファイはそれをしなかった。
ゆっくりでも共に歩むと言ってくれた人がいる。
立ち止まったら待っていてくれる人がいる。
手をさしのべてくれる人が。
今度はその手を自分で取りたい。
掴んでもらえるのを待つのではなく、自分から掴みたい。
待つのではなく待っていてもらいたい。
だからどんなに不便でも勝手が悪くても、ファイは自分でなんとかすると決めた。
初めて自分で決断した。
「旅の最中もファイが皆の炊事をしていたのでしょう?」
「ええ、まあ‥でも日本国の料理は難しくって」
「あら、でもファイはお料理が上手なのでしょう?」
「いやそれが駄目駄目なんですよー。この前も『にぎりめし』に挑戦してみたんですけど」
結果は惨敗。
いつまで経ってもまとまらなかったお米。
あの時ばかりは、不器用な自分に延々と握られ続ける米粒が不憫に思えて涙が出た。
決して、神様がいっぱい詰まってるお米を握り続けることに恐怖を覚えたわけではない。
「大丈夫、すぐに慣れますわ。だって、ファイは料理が得手なのですから」
「残念ながらそれはとてもとても望み薄です」
「あら、でも黒鋼が」
「へ?」
『あら、ファイは料理が不得手ですの?』
『いや』
『そんなこたぁ、無かったがな』
「えと‥それって、オレの料理の腕は彼にとって『普通』ってことですよね?」
「日本国の言葉は遠まわしですからね」
意味が分からずぽかんとするファイに、知世は更に微笑んだ。
曰く、お話の方も、まだまだでしたわね、と。
「直訳すると、黒鋼はファイの料理が好きだそうですよ」
旅の間、未だ育ち盛りだった彼に食事を用意して頂いたこと、心からお礼申し上げますわ
次にお会いしたときは、是非私にもファイの料理をご馳走してくださいね
ファイの料理に文句は言いつつ、いつも残さず食べてた忍者からフィーリング。
2007.4.6 わたぐも