笑顔の裏に思いをひた隠す魔術師。
 それは今日も今日とて同じこと。
 そう、彼の笑顔は今日も寸分と変わらない―――のだが。


(‥‥うぅー、まただぁー‥‥)


 隠れた若干、普段と違っていた。
 口笛同様、依然上達しない箸使い。
 とっくに練習すら放棄した後者の道具は、既にファイには道端に落ちている痩せた小枝と同じに見える。


(こっちのお芋は美味しいんだけどなぁー‥)


 握り締めた棒切れ二本。その先に串刺した小振りの芋を口に運ぶ。
 故郷にもこれと似た穀物があった。極寒の地でも育つ数少ない植物。
 もっとも、あれはこんなにも小さくはなかったし、このような粘りもなかったけれど。


(‥‥でもぉー)


 こっちは、いらない。と。

 この国に落とされてから何度も出会った生臭さ。
 はぁ、と深刻極まる溜息を付きたいのを残った精神力を振り絞り気力で堪える。
 堪えられなければ最後、言葉が通じない今、普段以上にこちらの気配に敏感になっている隣の忍者に勘付かれる。


(今日もこっちのおかずは残留けってーい!)


 それは、この国で世話になりっ放しである忍者に、これ以上負担を掛けたくは無い―――という美しい情など全く無く。

 単に、癪に障っただけ。


 その程度には意地があった魔術師であった。








芋・鮭・おむすび







 そもそも、自分がこんな意地を張るようになったのも、全部あの男が悪いのだ。


 それは遡ること数日。事件は二人共同の個室で起こった。
 その日も相変わらず食卓にヤツ上ってきた。それは魔術師にとって天敵にして仇敵。以前に訪れた国で“サシミ”と呼ばれていた生魚。

―――わかっている。

 小さな机の上に並ぶこれがこの国での食文化なのだ。それくらいわかっているとも。
 けれど嫌いなものは嫌いだし、苦手なものは苦手。逆立ちして逆転するのは視界と血の流れだけであって、己の趣味・趣向・嗜好などは一切変わらない。
 だから文句も言わず(というか言っても通じない)、大人しく魚以外を使えない箸で突いていた。
 のに。


野菜ばっかり食うなっつってんだろ!


 何かが切れたみたいな音が黒たんからしたー。
 そう思って振り向き見えたのは、どういうわけか壁ではなく天井。理解した状況は、何故か自分が黒鋼の手によって床に組み伏せられている、というもので。


「っ?っ??」


 訳はわからないが取り敢えず笑っておこうか、と思い、行動に移す途中で見えたのは青筋浮き出た忍者の額。その次に見えたのは自分を床に縫い付ける腕とは反対の腕。
 それに繋がる無骨な指が器用に扱う箸の先、に摘まれた―――。

 ひくり、と。
 笑おうとした自分の頬が引き攣ったのがわかった。


「ちょ、なにすんのッ!?ナマザカナ近づけないでよっ、そんなの食べれる訳無いじゃないッ!!!」


 当時の自分の必死さといったら、有史初だったに違いない。
 何をどうやって、ウェイトで圧倒的に勝る彼の下から這い出たのかも覚えてない程だったが、自分の抵抗が凄まじかったことだけはわかる。涙目になっていた自信もある。
 その証拠にあの黒鋼がぽかんとした顔で自分を見ていた。


「黒りんの馬鹿ッ!変態ッ!野蛮人ッ!!なんてことするの、オレ、今危うくショック死するところだったんだよッ!??」


 それが魚を食べる時の日本国でのマナーなのかは知らない。
 彼はオレと違って悪ふざけをしたりする性格でも無いし、実際床に組み伏せられた時に感じた怒気は、戯れというには度が過ぎていた。いっそ殺気。
 言葉が通じない今、問いただしても意味などわかる訳も無い。ただ彼の突然の凶行に、オレは越え難い異文化の壁を強く認識した。


「黒りんたのバカーッッッ!!!!」


 荒い息を整えることもせず、乱れた胸元を手繰り寄せる。
 彼の箸が摘んでいた刺身が、寂しそうに床に落ちていたが、勿体無いとは微塵も思わなかった。









 次の日からどういう訳か、周囲はオレに同情らしき視線を送るようになった。
 一部、励まされていた‥‥ような気もする。
 黒鋼はといえば、誰かが話し掛けてくる度にその相手を怒鳴り返したり、苦虫を噛んだような顔をしたりしていた。その様子から、取り敢えず今がオレに有利な状況なのだと悟り、「オレの苦労をわかってくれてるんだねー」と親切な国の人たちに感謝した。
 勿論、こっちを睨んでくる黒い人は綺麗さっぱり無視してやった。




 ‥‥‥そりゃあ、ね。


 国が違えば文化も違う。
 それは当然のことですよ、そうですね。オレだって子どもじゃないもの、それくらいわかるもの。だてに歳食ってる訳じゃない。
 そんな感じで人類は進化と叡智の文明を培ってきたんだし。

 ‥‥でもねでもね?
 各人の中にある内なる文化って、大事だと思わない?
 “あいでんてぃてぃー”って言うんだよねー、オレって物知りー。
 ‥‥‥‥うん、だから、つまり、言いたいことはですねぇ―――









 与えられた部屋の床でころころと転がる。
 因みに現在、ここに忍者はおらず、魔術師一人である。

 綺麗に片付いた机を見ながら、最近の献立を思い起こす。
 何度思い出そうと変わらぬ献立。
 何度思い出そうと変わらぬ難関の。


(‥‥今夜出た、あの焼いてるのは美味しそうだったんだけどなぁ)


 最も、尻尾も鰭も骨も、あまつさえ目玉すら付いたままの正しく姿焼きが出てきた時は、気でも違ったのかと思って思考が停止した。 が、加熱されて濁った魚の眼と己の黒瞳とがバッチリ出合ってしまった瞬間、強制的に意識が戻った。頬も引き攣った。

 再度ご対面するはそんなある意味、生魚よりも強烈な第一印象をオレに与えたお魚の姿焼き。
 接し方どころか食べ方もわからないし、第一これは食べ物なのか。
 匂いは未だしも、その形状(主に眼が)に不審が拭えず、困った結果、隣の黒鋼を見てみれば箸で食べ分けるその器用さに、更なる衝撃を受けた。
 ナイフとスプーンがあっても、きっと自分はお手上げだった。(主に眼が)




(‥‥思えば黒ぽんって、意外と器用だよね‥)


 今は部屋にいない男の事を考える。
 自分も手先の器用さには自信があった。
 共に旅する少女の心からの感嘆を頂戴する程度には、自負出来る。

 けれどもどうも最近、つまりこの国に来て以降、一見不器用そうな彼の方が、実は器用なのではないか、と思うことが多々とあった。
 オレがやれば中々襟が合わない、ボタンの無いこの服の着方とか。
 オレが使えば直ぐに滲んで見れたものじゃない、刷毛に似たあの妙な形の筆記具とか。
 オレが持てば只々の棒切れでしかない、あの対の箸とか。

 この国に落とされてから、ずっと彼と一緒にいるものだから、余計なところまで見えてしまう。


(‥‥焼いてあるやつ、食べてみればよかったかな‥?)


 食事時に漂った匂いと共に、あのグロテスクな容貌(主に眼が)まで思い出してしまい、背筋に悪寒が走ったところで、部屋の戸を叩く音がした。

 誰だろう、だなんて思わない。
 こんな時間にこの部屋を尋ねてくる人などいない。帰って来る者はいるが。第一、気配から彼が部屋に近付いてきているのはわかっていた。
 一度叩かれたきりの戸へ慎重に歩いてゆく。そろり、と慎重に慎重を重ねた動作で扉を少し開ける。そして胡乱気な瞳を隠さず外を伺う。暗闇に立つ大男は、その手になにかしら包みを抱えていた。閉じてあるので中身まではわからない。
 不審がって、なかなか戸を開こうとしないファイに溜息を吐き、黒鋼は凝視されている包みを相手の高い鼻の高さまで掲げる。


「っ、――‥‥む?」


 一瞬、魚の生臭さを想定して身構えたファイだったが、漂ってきたのは悪くない暖かな香り。


刺身じゃねぇのはわかっただろうが。だから中に入れろ


 言葉はわからなかったが、黒鋼がコンコンと戸を叩くので、「戸を開けろ」と言ったのだとわかった。
 包みの中身は依然として謎だが、生魚じゃないことは香りからわかった。それどころか漂うのはむしろ美味しそうな香りである。

 それでもどうしようかとファイが悩んでいると、いい加減焦れたらしく、包みを持たぬ方の手を戸に掛ける。そして自分で扉を開け、無駄の無い身のこなしで隙間をすり抜け部屋へと入る。横で棒立ちになっているファイには目もくれず、部屋の中央にある机に持ってきた包みを置く。
 そしてようやっと、未だどう動いていいのか分からないファイを一瞥し手招きした。
 曰く、「いつまでも突っ立っているな」、と。
 扉は黒鋼が既に閉めていたし、確かにこのまま立っている訳にもいかないので、ファイは招かれるまま素直に卓の前にぺたりと座る。


食え


 ぼーっと彼の動作を見ていたオレの目の前に、ずい、と差し出されたのは三角の形をしたお米の塊だった。いつの間にか開かれていた包みに、同じ形の物がいくつか並んでいる。
 ぱちぱちと目を瞬かせるオレに彼は再度勧めてくるので、おずおずと受け取る。が、かなり熱かった。驚いたオレの手の中でお米の塊が跳ねたが、その形は少しも崩れなかった。
 数度両手を行き来させ、漸く落ち着いた温度になったが、受け取ったこれをどうしていいのか分からず、ちらりと彼を盗み見た。ら、行儀悪くかぶりついていた。


(‥‥わーお、マナーもへったくれもなーい)


 二本の棒切れで器用に摘んだり解したりする様から、彼の故郷はさぞや作法に厳しい国なのだろうと思っていたが、一方でこの手掴み丸齧りの野蛮さ。日本国はよくわからない。

 そんな事を思いながらぽかんとしていると、一つ目を食べ終わった彼が、オレの手の中のお米を指差し、何事かを呟いた。
 ‥‥‥多分、「食べねぇのか」とか、そんな感じだと思う。


「‥‥いただきまーす」


 日本国にとってお米はパンみたいなものなのかもしれない。
 そう自分に言い聞かせながら、自国では味わったことの無い、三角型のだんごみたいになっている米を口に運ぶ。
 ぱくり、と一口食べてみて「あ」という表情になったのが自分でもわかった。


 お米ってこんな味だったっけ?


 故郷で口にする米といえば、皿に平らに盛られている冷たいものだった。
 けれど今自分が食べているこれは温かさがしっかりと残っており、また塩味も米に合っている。
 黙々と、半分ほどまでを齧ったところで米ではない味がした。


「‥‥あれ?」


 中心に埋まっていたのは、赤味の魚。見覚えのあるその色は、先ほど自分が食べ残したあの姿焼き。黒鋼が食べていた身がこんな色をしていた筈だ。


(焼いてあるお魚、やっぱり美味しかったんだ)


 米とはまた違う塩の味。相性は、悪くない。

 そこでは、はた、と気付いた。
 これは一体、何と言う食べ物なのだろう、と。
 自分の国には無いものだから、今尋ねれば、彼の国の言葉で聞ける筈だ。
 そう思った次には既に手が動いていた。


あ?


 ぐいぐいと、裾を引くオレに、一般的に言うに親しみ易くはない視線が寄越される。
 こちらを向いた瞳にオレは気を良くし、まず、食べかけの米の中にある魚を指差す。


ああ、具か?具は鮭だ


 なんだか、随分と長く彼の唇が動いた。
 どうも、自分が欲しかった答えとは違う気がして、不満顔でまた裾を引く。
 そして思考を読んだのか、短い答えが返ってきた。


「鮭だ」

「さけだ」

違ぇ。鮭」

「さけ」

それだと『酒』

「さ?」

「さ・け」

「しゃ・け」

‥‥間違っちゃいねぇが、そう言うのはガキだけだぞ


 最後にまた何か長い言葉を発した途端、オレを見る彼の表情が複雑なものになった。
 最後の発音には結構自信あったんだけど、何か違っていたのだろうか。
 ぐいぐい、と再三彼の裾を引き、もう一度舌に乗せてみる。


「しゃ・け!」


 すると彼は息を詰めたような気配の後、目を閉じ息を深く吐いた。
 そしてまた何か言う。
 何を言っているのかは全くわからなかったけど多分、「それでいい」とかそんな感じだと思う。面倒臭そうにはしているけれど、投げやりでは無いのが伝わってくるから。当たらずとも遠からず、といったところなのだろう。


「しゃけーしゃけー」


 知らないものの名前を知った。れだけのことが只々無性に嬉しかった。まるで小さな子どものように。




 きっと、今またオレは彼の中に踏み込んだ。
 自覚はあった。けれど歯止めが無い。
 だって、戒めのように己を縛る蒼の瞳が、今は無い。

 毎朝鏡を見ても、他人に関わる事を恐れる自分は映らない。
 蒼い目のファイ・D・フローライトでも、セレス国の魔術師でも、逃げるしか出来ない男は映らない。
 そこに映るのは黒の瞳をした男。
 黒い瞳では、魔法だって、きっと。
 だからつい、自分が誰だかを忘れてしまいそうになる。

 実際、忘れかけているのかもしれない。
 そうでなければ、彼の国を、彼の言葉を知りたい、などと思いはしなかっただろう。
 いずれ別れていく人、交わらない線を引いたもの同士だ。それに彼は弱い者を必要としない。
 彼の事情も俺の事情も含め、決してオレたちは共には歩めない。のに。




 そんな暗い思考も、一瞬でファイの中を通り抜けた。
 そして思い出す隙も無いまま、また手を伸ばす。
 もう一つ、聞きたいことがあるのだ。

 黒い彼の着物。今の自分の瞳と同じ色である、黒鋼の着物に手を伸ばして指先で掴む。そして引こうとして―――気が付いた。
 彼の裾に何か白い粒がこびり付いているのだ。


(‥?なんだろー?)


 黒鋼も、じっと、自分の着物の裾を凝視するファイに気付いたらしい。


どうし―――‥‥、!


 びしり、と黒鋼の表情が固まったのと、その粒が何であるかにファイが気付いたのは同時。


(‥‥う、わぁー‥‥)


 理解した瞬間、顔が真っ赤に茹ってしまった。
 お陰で、もう一つ、た三角の形をしたこのお米の名前も聞きそびれたし、それどころか掴んだ裾を離すタイミングも失った。

 黒鋼の顔を真面に見れる気がしなくて、俯いたまま微動だにできない。
 泳ぐ視線が捕らえたのは、裾を掴むのと反対の手に握ったままの三角のお米。その中心から具が、恐らく今晩の食卓に上ったものであろう、『しゃけ』が顔を出していた。


(―――‥‥あの時からずっと、心配してくれてた‥?)


 危うくショック死しかけたサシミの一件。
 自分もそうだったが、思い起こしてみればあの時の黒鋼の必死さも有史初であった可能性に気付いた。今まで、あんな凶行に及ばれたことは無かったのだから。
 抵抗に必死すぎて、ぼんやりとしかその顔を覚えていない自分の失態を今更ながらに悔やんでしまう。

 最も今は、そんな馬鹿みたいに自分に都合の良い妄想に緩んでしまいそうな頬を引き締めるのに必死だが。
真っ赤に染まった顔と耳をどうにかするのは、もう諦めた。



 不自然な沈黙をやり過ごそうと、まだ残っていた三角形を、ぱくり、と齧る。
 お米は少し甘い味がした。



 オレが掴んだままの彼の袖には、まだ渇かないご飯粒が引っ付いていた。









元気ないファイたんの為に黒鋼さんがおにぎり作ってくれた話。(機会があれば黒鋼視点も書きたい)
というか黒眼設定って、ファイにとってものすっごい美味しい設定!
魔法使える云々(蒼い目じゃないから)は別にして、唯一自分が自分であることを忘れて生きれる半年だと思う。

‥‥うんそう、ファイが「しゃけ(鮭)」って言ったら可愛いだろうな、と思ったの。(白状)


2006.11.26  わたぐも