等号
「キスがしたい」
一大決心のように言われた言葉に俺は束になった紙切れを眺めたまま素っ気無い返事をした。
「領収書の数を減らします、って誓うんなら」
するとギギナは机の向こう側で熟考の体勢に入った。
俺はというと先程よりも深くソファに凭れて領収書を眺めた。
俺とのキスは家具の購入と等記号。
誘惑してみる
「家具ばっかり構ってないで俺と遊ぼ?」
箪笥で頭を打った絶倫男が可笑しかったので笑ってやった。
好き同士なのに、だから
「あのさぁ」
「なんだ」
「俺らってさ」
「ああ」
「恋人同士なのか?」
「……………………違うのか?」
「冗談だって」
「死にたいか」
「いやん、積極的」
「貴様、」
「愛してるよ、ギギナ」
ただ 好き同士だから愛してるものが違うのが
なんだか滑稽だと思ったんだ
Say love! (ギギナ視点)
「愛していると言え」
ポロリと出た言葉は無意識から。
「やだ」
らしくも無くせがんだ言葉は一蹴された。
「言え」
「ヤダったらヤダ」
そして一度ならず二度までも。
「ガユス」
「言わないって言ってんだろ!」
「愛している」
言い損などとは思わない。
不満などありはしない。
赤くなった顔に気付かない振りをしてやるだけの余裕もある。
「…阿呆ギギナ」
けれど抱き締めてばかりでは
いつか絞め殺してしまう気がした。
Say love! (ガユス視点)
「愛してるって言って」
纏わり付く湿った敷布が気持ち悪い。
「何故」
見えない相手の顔にはきっと不審の色。
「いいから」
「断る」
掻き上げた髪はとても綺麗に流れてるんだろう。
「なぁ」
「しつこい」
「…けち」
俺が背を向けたらアイツが振り返った気配がした。
アイツが口を開いた感じがしたから俺は口を閉じてやった。
皺くちゃになった毛布を頭から被った。
「…ガユス」
だってその一言があったなら
俺も強くなれるって思ったんだ。
文明の悲劇
「…やってしまった…」
「不景気な面を下げて一時間遅刻とは貴様のやりたいことなど遂にわからぬ」
「自宅を出る前から厭な予感はしてたんだ。久々の自宅からの通勤なのにすっかり忘れてていつもの調子で起きた辺りでもう駄目だった」
「確かに最近の貴様は事務所、というか寝台を根城に、」
「それでもやっぱり急ぐだろ起きた時点で遅刻なんだから朝飯も食わずに家を出た。そして階段降りてる最中アナウンスとは裏腹にお急ぎくださいとばかりに急かすベルが鳴るんだよ飛び乗るだろうが普通そして安堵も束の間、不自然に空きの多い車内、そして二駅通過辺りから気付く男にとっての異質空間。もう終わった今日の運勢は最悪に最低だ万策尽きたそんな小心な状態の俺に提出しようとお前が指先に摘むその紙切れは不受理だからな」
「……それで結局、何の話だったのだ?」
「文明の利器を移動手段に用いない原始民族にはわかんない、男達の悲劇の話」
たまには強気で出てみたけれど、所詮
「報告書を書け」
「断る」
「見てみたいなーお前の達筆な字、またの名を前衛的署名。結論は少しは仕事しろ甲斐性無し」
「誰がだ」
「じゃあ譲歩案。報告書を書くか、昨夜何処に行ってたか吐くか」
「………」
「どうした、二択だぞ」
言葉に詰まるギギナ、現状優勢なのは俺。
膠着状態が続く中、付けっ放しだったラジオから正午を知らせる時報が鳴った。
「…ガユスよ、腹が減らぬか」
腹に手を当ててみた。
起きたら胃が痛かったので朝食は抜いてきたから確かに腹は減っている。
「そうだな、じゃあ何か買いに──」
行くわけ無いだろ。
仁王立ちでそう言い放つ為に席から浮いた腰。が、両肩に置かれた白い手に阻まれ席に戻る。
反射的に顔を上げれば有史初の優しい瞳。浮かぶのは労わりの文字。
「待っていろ」
白磁の掌はゆっくりと俺の細い肩から離れ、そして流れる
銀糸を纏って翻った長躯は寂れた扉から出て行った。
事務所に残されたのは椅子に座り直して呆然とする俺、と。
「―――……っ、あの野郎、逃げやがったッッ!!」
我に返った俺は紙と筆を机に叩きつけ、代わりに長外套を引っ掴んで慌ただしくギギナの軌跡を辿る。
立て付けの悪い扉が大きな音を立てて開かれた。
隣に並んだその時に見えるであろう 苦虫を噛み潰しても綺麗なアイツの面が頭に浮かんだ。
ワールドカップ
「ぎゃーーッ!!」
麦酒間をペコペコと握り占めながら事ある毎に歓喜絶望の声を上げる相棒の青い視線は既にかれこれ二時間ほどギギナ自宅の受像機に釘付けだった。
なんでも相棒ご執心の例の球技の大陸大会がどうのこうの。
しかし球遊びに興味が無い身としては何が面白いのか全くもってわからない。
だから昼間、前日から落ち着きが無かった相棒にその旨を伝えてみれば「非国民」と罵られた。
そして夜九時を回った頃。
事務所で別れた相棒が唐突に訪ねて来た。夜に訪ねて来たからといって色気など全く無い。本当に訪ねて来ただけだった。
そして主の許可もなく勝手に部屋へと上がり込み、持参した酒を広げて電源を入れた受像機に張り付き今までを過ごしている。
やつが持参した摘みも全て平らげてしまった身としては楽しみなど既に欠片も残っていない。
唯一己を楽しませてくれそうな生き物もこの様だ。重ねて言うが色気など欠片どころか塵の影もありはしない。
「ガユス、貴様、厭がらせか貧困に喘ぐ自宅の節電計画なら帰れ」
苛立たしく声を上げれば青い視線が煩そうにこちらを見た。
「うっさいな、万が一の事態になったら無神経に元気な人間の慰めぐらい必要とする硝子の精神なんだから今黙ってろ」
思わず手を伸ばすと「イエローカード」と黄色の特売広告で頭を叩かれた。