「ギーギナ」

「何だ」

「2月14日、何の日か知ってるか?」

「当然だろう」

「え、マジ?」

「家具市」




…まぁそんなところだと思ったけど。









 ケミカリズム









まず誰が悪いってジヴが悪い。
俺はジヴを愛しているけど今回ばかりはジヴが悪い。


『ガユス』

『何、ジヴ?』

『もう直ぐバレンタインね』

『楽しみにしてるから』

『そうじゃなくって』

『じゃなくって?』

『ガユスはちゃんと用意してるの?』

『何を』

『チョコよ』

『…………………ジヴに?』

『違うわよ』

『じゃ誰に?』

『ギギナさんに』

『ギギナ?何で??』



今年のジヴはチョコの代わりに首筋への強靭な回し蹴りをくれた。鞭打ち痛い。






次にギギナが悪い。
俺はギギナを愛してなんかいないけど毎回毎回存在が悪影響(今回はジヴの思考と俺の命に対して) だからやっぱりいつもの通りギギナが悪い。家具市だし。


にしても。




「……バレンタインかぁー…」


片思い。告白。愛。チョコレート。
「ギギナさんにあげなさい」というジヴのあの絶対命令が頭中に反響。
腰掛けた椅子を前後に揺らすとギシギシと錆びた音がした。
卓上に広げたチラシの裏には作りかけの咒式がびっちりと書き込まれている。


『 ギギナ+チョコレート→(  ) 』


その紙に書き加えた新たな化学方程式を俺は解いてみる。

答えは『無表情を装いつつも内心すっごい喜びそう』
有効定理は『ギギナは甘党』


しまったこの化学反応は簡単過ぎた、『誇り+戦闘+家具→ギギナ』レベルだ。
因みにこの逆反応は『ギギナ→世界、そして俺の平和』であるという論理的証明が なされている。しかし現実的にはどうかというと、ギギナという生成物が分解される 逆反応が地球の引力の強さとか猫の定理とかそこら辺の因果関係からまず起こりえない。
不可逆反応も真っ青な純粋一方通行生成反応。

俺の幸せへの反応式は論理的にはこうも簡単には証明できるのに、 現実世界での実現は限りなく不可能らしい。
ちょっと実質的にも可能な俺の幸せの化学反応は無いものかと半ば本気で考えてみる。が、 直ぐに『在り得ない』と証明できた。
有効定理は『ギギナの存在』


いとも簡単に導き出された答えに拍子抜け、ついでに魂も抜けそうになった俺。 それでも何とか希望という名の生きる意味を見つけようと、行儀悪いと思いつつも筆を口に咥えて 熟考の体勢。
昔吸っていた煙草の感覚は思い出せない。


「……チョコ」


そして脳内議論は原点へと戻る。

一応…いや正式に男である俺がこの季節に婦女子に混じってファンシーショップに 鎮座する小奇麗に包装された必殺アイテムを買いに行くのは恥ずかし過ぎな上に無実の虚 しさが激しくこみ上げてくるので全力却下。

とはいえ手作りもどうだろう。
確かに自分で作った方がギギナの好みの味にもなるし正直、そこらの既製品よりも美味く出来る 絶対の自信がある。今年の流行はトリュフと見せかけてキャラメルガナッシュらしい。
でもそれじゃなんかすっごい張り切ってるみたいで嫌。とにかく嫌。いやったらいや。


……というか。
何で。俺は。今現在。


「…奴にチョコレートをやることを前提に話を進めてるんだ…」


誰もいない応接室でぐるぐると思考を廻らせていた俺は議題の重大な 欠陥に気付いて机に頭を打ちつけた。

やらなくったっていいだろうが別に。
ギギナがそんなの一々気にしているとは思えないし、第一今日だって家具市とかほざいて 朝から今まで一度も見てないし。
多分夕方まで帰ってこないし。
そう帰ってこない。


「……」


額は机に貼り付けたままで目線は床、咥えたままの筆は口の動きに合わせてふらふら揺れる。
打ち付けた額が熱を持ってひりひり痛い。
ああ赤くなってるかも。






―――別に、考えてなかったわけじゃない。


何をってこういう恋慕が絡むイベント事でのそういうことを。
もっともジヴが「とにかくギギナさんにチョコレートをあげなさい、あげなさいったらあげなさい」 と騒ぐのは単に俺たちを仲良くさせたいが為なのだろう。…多分。
なんだったっけほら、予備校の女生徒がよく言う『友チョコ』。きっとそんなノリなのだろう。……恐らく。

最も、友というか何というか俺とギギナはそれ以上の関係なんで す、いってしまえば恋慕が絡んだそんな関係。
でも決してそんなヤラシイことはしていません、断じて清いままです俺の大腸。
…まぁ、その……キス…ぐらいなら向こうが…というかもしやこれって浮気?二股?
俺、もしかしなくても悪い男?今気付いたそうなるんですか?


「……あー…」


打ち付けたまま静止していた額を持ち上げ頭を抱える。
咥えたままの筆は薄汚れた天井を仰ぐ。

何がショックって、そこでジヴとギギナどっちが浮気相手になるんだろうと迷った自分。
ここで初めて自分の中で線引きが出来ていない事に気付いた。
もしくは定理も無しに導き出せる、もしかしたらそれこそが定理なのかもしれない。
意地を張り続ける俺がわかりきったその答えを認めたくないだけで。


「……あげるべきなのかなぁー…」


力ない呟きが空気中に霧散した。

でもその後は?
導き出された戻れない心を抱えて二人で向かえられるかどうかもわからない 不安定な明日に怯えながら生きるのだろうか。

そうでなくても相手はあのギギナ。
皇国全土、行く先々に常に自分が現れた痕跡を主に子孫を増やす神秘の行為を 以ってして残すギギナ。


「……なんだか寧ろ俺自身が間男である可能性大?」


ぶつぶつとぼやきながら俺は自分の口にチョコレートを運んだ。

コニャック酒使用のアルコール分3.4%、冬季限定・大人のチョコレート。
12粒入りの定価198イェンですが本日は158イェンの特別特価ご奉仕。
言うまでも無いがギギナ用じゃなくて俺用。

煙草じゃないからいいやと筆を咥えたままで一緒に噛んだら、チョコレートの割れ目から とろりとウイスキーの香りが鼻に抜ける。
ギギナの嫌いな味だな、と思ったら酒の匂いに眉を寄せるギギナの顔が頭に浮かんだ。

そしてここからが俺の豊かな想像力の賜物。

秀麗なその顔どころか首から鎖骨、肩を辿ってその下、長い足を越えて指先まで付いた リアルな幻覚が俺の真正面に立っているのが見える。 ちょっと直視には厳しいな、厭味な顔の完璧具合が。あと幻覚の癖に存在感溢れてて迷惑過ぎる。

ギギナ帰還予定よりも数時間はやい昼間に現れた別に居眠りなんかしてないのに白昼夢。 それを眺めているうちになんだか諸々の事情で腹が立ってきたので俺の正面に立つ美姫を象る 幻像に向かって文句を言ってみた。


「…今日は当日なんだぞ、ギギナのバーカ」

「貴様のその馬鹿面はとうに見飽きたが今日のそれは普段の比ではない。 よって早々に焼き去れ」


おお、さすが俺、幻覚どころか幻聴までオプションで付いてきた。
しかも奴が言いそうな微妙な悪口。


「……喋った?」

「前々から問いたかったのだが貴様は私を何だと思っているのだ?」

「ぎゃあ、本物ッ!」

「みっともない声を上げるな」


幻と思ったそれは呆れ顔の現。
口を開いて死なない程度に攻撃してくる俺の天敵。


「いきなり室内に自分以外の何かが湧いて出たら誰だって焦るだろ!」

「仮にも咒式士だろうが。常に周囲には気を配れと教えたはずだがまだその身には染みないか」

「戦闘主食民族みたいに常時人肉を狩猟してるんじゃないんだ俺は。それに お前に気配消されて近付かれたら咒式士以前の問題―――…なんでギギナがここにいる?」

「仕事場に出社して何が悪い」


最もな疑問を口にした俺にギギナはある種正当な反撃をしながら近付いてくる。
そして俺の口から伸びていた筆に気付いて「行儀が悪い」と言って抜き取った。


「いや立派だけど事務所に入った瞬間から口を開くまでの間だけ。家具市は?」


俺から奪い取った筆の置き先を探していたギギナの赤唇からこれ以上ないくらいに重い溜息が吐かれた。 どうやら好みの家具に出会えなかった憂いを表現しているらしい。
よく溜息を吐くと幸せが逃げるって言うけど他人には幸せを運ぶようだ。
その証明は今この瞬間。

経済的救済を受けて幸せになった俺は、逆に幸せに逃げられたギギナに激励 を飛ばして差し上げようと思って手元に違和感。
周囲にセンサーを巡らして足元に異常を察知、ピントを合わせて視界良好、床に散らばるチョコレートを確認。


「ぎゃあっ!!」


先程ギギナに驚いた拍子に中身を落としたのだろう箱を覗けば残り1粒。くそ、10粒も損した。
手中の軽くなった箱を覗きながら今度は俺の口から重い溜息が出た。


「何か落ちている」


結局、筆は俺が使っていた卓上に置いてその机を端に寄せたギギナが床に撒か れたチョコレートを目敏く見つけて爪先で突付く。


「あ、踏むなよ中身が出たら掃除が面倒だから」

「…酒の匂いがする…」


どんな嗅覚してやがるんだ、と思ったが、眉を寄せたギギナの表情がさっき俺の頭に浮かんだもの と寸分の狂いも無かったのがどうにも面白くておかしくなる。

物珍しそうに突付いていた爪先を嫌そうに退けたギギナはその視線を俺へと向けた。


「打ったのか」

「え?」


何が、と問うよりもはやく長く白い指先が俺の前髪を掻き分けた。
邪魔だった机が無くなったので近くなった距離。
少し紫がかった瞳が骨董品の壷の鑑定でもするかのように俺の額を凝視する。


「…赤くなっている」

「ああ、さっき机でぶつけたからな」

「角でか?」

「いや、平面で。こう、がつんって感じで…」


その時の状況を説明する為に席を立って机に近付こうとしたら、正面に立っていた ギギナが俺の肩を掴んでやんわりと引き止め、再び椅子に俺を座らせた。


「状況は理解した。だからわざわざ再現しなくて良い」

「そうか?」

「しかし一体何をしていてそうなったのだ」

「……さぁ、何でデショウ」


その“何”を思い出し、一人気拙くなった俺はふいと顔を逸らした。
するとその軌跡を追うようにしてギギナの綺麗な顔もついてきた。
困った俺が俯けばそれを見上げようとしてギギナが屈む。

天井を仰げば覗き込まれそうな気がしたので、俺は体を半回転して椅子の上に三角座りをした。 こうしてギギナに背を向けて膝に額を付ければほら、大丈夫。
しかしギギナは不満のようだった。


「何故顔を逸らす」

「そっちこそ何で顔を見るんだよ」

「見たいからだ」

「じゃあ俺は見せたくない」


ずっと手に持っていた薄い紙製の箱は掌に滲んだ汗でふやけ、 鮮やかな緑色をしたパッケージが草臥れて見える。
残り一個の欠片が体温で溶けてたらちょっと泣くかも。


「こちらを向け」

「やだ」

「いいから向け」

「やだったらやだ」


しばらくは押し問答のような会話を続けていたが、やがて 進まない展開を憂いてか俺の背後でまたギギナが溜息を吐いた。

今度はどんな幸せが俺の元にやってくるのだろうと思ってたら、 手の内で弄繰り回していた紙箱が破れた。 ボロボロになった箱から覗くチョコレートは微妙に溶けていた。
落胆の溜息と共に俺の体の力が抜ける。


「わ…っ!?」


そしてその隙を見逃さなかったギギナが俺の両脇に両手を差し込んで引っ張った。
腰が床へとまっ逆さまに落ちそうな浮遊感に恐怖した俺が慌てて椅子の上に足を立てて踏ん張る。
何だろうこの体勢、出来損ないの組み立て体操みたいだ。


「おいっ、ギギ…」


突然の強行に文句を言おうと妙な体勢で俺を抱えるギギナの上下逆向きの顔を見上げる。
すると謀ったようなタイミングで落ちてきたギギナの唇が赤くなった俺の額を撫でた。


「―――…」


眼鏡のブリッヂにギギナの鼻梁が触れてズレる。
呆気に取られた俺が何もいえずにいると少しだけ離れた美貌がゆっくりと瞳を 開き、見開いたままの青いそれとばっちり出合えばうっとりと微笑んだ。

そして何かの言葉を紡ごうとしたのか薄く開いた赤い唇を見て頭が沸騰した俺は、 残っていたチョコレートを開きかけたギギナの口内へと力の限りに押し込んだ。


流石のギギナもそんな展開は予想出来なかったらしく、驚いて 俺の指を咥えたままあの鋭い歯を立てやがった。


「痛いッ!」


真剣過ぎる悲鳴に「しまった」という顔をしたギギナが噛み締めた歯ばかりではなく、 俺を支えていた腕まで離しやがったので、俺は当然ながら重力に従い腰ではなく尻から床に落ちた。


「だから痛いって!!」


尚も不平不満をぶつけてやろうと遥か上空を睨み上げる。


「……ギギナ?」


そしたら咽て盛大に咳き込んでいるギギナがいた。




しばらくその様子を眺めていたら、俺はなんだかとても達成感と満足感に満たされた。
そして仰け反った無理な体勢のままで笑っていたら、漸く発作が収まったらしいギギナが俺を睨んできた。

しかしその表情は咽た余韻で涙目だったので、普段とのギャップが作用しどうにも可愛らしく更に笑えてしまう。
そうして笑い過ぎで腹筋が痛くて引き攣り酸欠にまで陥り始めた頃、本日三度目のギギナの溜息を俺は飲み込まされた。






論理的には証明できない不思議がこの世にはあるらしい。
それでも実際的に実在する、後世には何の役にも立たない化学反応を今日は発見。


きっといつかゴミに紛れて捨てられるんだろう。

それでも今を忘れないようにチラシの裏にでも書き留めておこう。







『 ギギナ+ボンボンチョコレート→俺が笑う=ギギナの溜息=俺のしあわせ 』

絶対必要定理は 『 ギギナがいて、俺がいる 』





頭 大 丈 夫 か 自 分 ! (アウト)
原点に戻って小麦粉警報レベル7。いちゃつき過ぎー。
いずれガユスもギギナに正式なお返事を返してくれることでしょう。
清いお付き合いも素敵だと思ったんです…。

こちらはバレンタイン企画フリー小説です。
報告は任意。後書きは消してやってくださいませ。


06.2.12  わたぐも