陶磁の漆器と金属の調理台がぶつかるやや甲高い音が事務所の簡易台所に響く。

そこにこぽこぽと注がれてゆく濃い焦げ茶色の液体が丸い波紋を描く。


かたやいっぱいにまで注がれて、濃く深くしかしどこか澄んだ色。
かたやミルクと砂糖で割られ、甘い香りを放ち底の見えない琥珀色。



共通項はゆらゆらとのぼる白い湯気。
陶杯は二つ。






ある不似合いな日






波波と波打つ陶杯を両手に俺は事務室兼応接室へと繋がる戸を潜る。
相変わらず閑散とした埃っぽいその部屋で、俺は一つの絵画を目に出来た。


溺愛の愛娘に優雅に腰掛け、屠竜刀ネレトーを磨く絶世の美を纏う闘神。
こんな万年貧乏事務所では決して拝めないような高価な絵。


俺は暫くぼうっとそれを眺めていた。
それにこの男が気付かないはずはないのだが、ギギナは俺には一顧だにせずただ黙々と自分の獲物を磨き続けている。



コトン。



陶磁の陶杯と木製の机が奏でる音が響く。
角の無い柔らかな音。


頼まれてもいないギギナの分の珈琲まで淹れてやったのに礼の一言も無い。
俺もギギナに礼なんて言ったこと無いけど。



俺はそのことについては特に何も言わずにギギナの向かい側、ビニル革張りのソファへと移動する。
スプリングが駄目になってきているのか、大して重くも無い俺の体重を受け止めたソファが軋む。

そして続く刃と油紙が擦れる音。




季節は春先。
依頼は珍しく舞い込んでこない。
そう、珍しく、だ。



いつもならギギナに事務所のこのどん底な経営状態回復についての講義を始める時間なのだが、 今日は不思議とそんな気分じゃない。



大きな欠伸をした後、全身で背伸びをする。

ソファに腰掛けたままなのでいまいち背筋が伸び切らないが、それはそれでまあよしとする。
立ってまで背伸びをするのもなんだかオヤジ臭い。
しかもギギナの前。

それはなんか嫌。



背筋に少しのだるさを抱えたまま珈琲を口に運ぶ。
少し温くなっているが香りは良し。

ギギナは未だネレトーの整備中。



普段より物静かな午後。





ふと、窓から外へと目を向ければエリダナの蒼穹がどこまでも平坦に広がっている。


どこまでも青く、青く。




「……空がきれー…」

「…そうだな」




ぼんやりとした独り言だったのにギギナに聞かれた。
そして意外にも返答、しかも賛同。

いつだったか、こんな会話を今と逆の立場でしたことがあったような。




俺は視線を無限に広がる青から目の前の銀へと移す。


窓葉から差し込む柔らかな光に、銀の美貌が眩い光を散らす。




黙っていれば、この男は本当に綺麗だと思う。




ネレトーを磨く純白の指先だって。

男のくせに細く癖もなく、馬鹿みたいに綺麗な銀の髪だって。

紫掛かった色彩の物憂げな鋼の瞳。

影を落とすほどに長く伸びた睫。

闘争を待ち今は青く静かに燃え上がる竜と炎の入れ墨。

そして凍える美貌とは裏腹の内に宿した総てを焼き尽くしそうな激情も。


全部。


本当に。




「……綺麗…」

「そうだな」




―――違う、お前のことだよ。


そう呟きそうになったお喋りなこの口を、ぎりぎりのところで噤むことが出来たのは奇跡に近い奇跡だと思う。
この陽気にぼんやりとする中で、僅かに残った意地の賜物。



そよそよとした風が頬を撫でるのが気持ちよく、静かに目を閉じる。


ふわりと暖かな流れ。
運んでくるのはほのかな香り。

死しか知らない攻性咒式士のこの人生に、僅かな優しさをもたらして。




閉じていた瞼を持ち上げ、のんびりと視線をめぐらせばそこにはいつも変わらぬ銀の美貌。

既にネレトーの整備は終えたらしく、相変わらずヒルルカに腰掛けたまま、澄まし顔をして俺の淹れてやった珈琲を飲んでいる。

その光景に俺の頬は自然と緩む。




「…なんだ?」

「なんだよ?」




俺の返答にギギナが渋い顔をする。
その表情が可笑しくって、俺はけとけとと笑う。

普段こんなことをすればネレトーの一撃でも振ってくるのだが、今日はそれが無い。
ギギナもこの春の陽気に中てられてるのかもしれない。



澄まし顔に憮然とした気配を纏ったギギナがまた珈琲を口元に運ぶ。
それがまた可笑しくて俺が笑う。


ギギナが寛大。

いい感じ。





ギギナと知り合って。

攻性咒式士に引き込まれて。

ジオルグ咒式事務所の面々と過ごした時代。

ばたばたと慌しく、しかし充実した日々が過ぎていった。



こんなにのんびりとした日は初めてかもしれない。



もしかしたら生まれてからも初めて。

俺ってなかなか有り得ない人生送ってる。


その相手がギギナってのもまた有り得ないけど。



―――けど、有り得ないけど悪くも無い。






そよそよと窓からやってくる優しい風が緩む俺の頬を遠慮がちに触れてゆく。
ふわりと香る春の香りはやはり心地よく、軽やかに睡魔がやってくる。


うとうとと舟をこぎ始めた俺をギギナがじっと見つめている。




「ガユス」

「……ん…」

「眠たいのか」

「……んー…」




俺はもぞもぞと腰掛けていたソファに寝転がる。
またギシリと音を立てたが、それすらも心地よい至上の演奏。




「寝るのか」

「………んー……」




ほんの気まぐれ。
それはきっと今この日が。


―――俺達には悲しいくらいに不似合いな程の平穏だから。




「ガユス」




ギギナが俺に何か言葉を掛ける。
しかしそれも日差しの心地よさに霞んでしまって遠くに聞こえるだけ。



―――もしかしたら、心地よいのは陽射しのせいじゃないのかもしれない。





暖かな底に落ちる時。



真綿の様に柔らかく、日差しよりも暖かなギギナの瞳を見た気がした。






kuroneko様からのキリリクでした。
まったりのんびりな一日。
一日って言うか、午後のひと時?
これで果たしてリク内容にそぐえているのかが心配。(汗)
激動の日常を送る二人にも心休まる穏やかなひと時があると良いです。
キリリク、有難うございました!

こちらはリクしてくださったkuroneko様のみお持ち帰りOKです。


2005.6.19  わたぐも