83.雨






『今日の午後からの降水確率は0パーセントで―――』



0パーセントということは、つまり雨は降らないということ。
ならば濡れることは無いということ。
お出かけの際に雨傘は必要なし。

なのにどうしたことか、我らがアシュレイ・ブフ&ソレル咒式事務所から覗けるエリダナの風景はしっかり雨。



俺はやりかけの、かといってやりたくも無いどこかの馬鹿が拵えてきた領収書の整理を一時中断して外を眺める。

事務所の応接室には今は俺しかいない。
ギギナはロルカ屋に注文していた咒弾を取りに、珍しくも自分から出掛けて行ったからだ。
奴の出かけ頭、天気予報では降水確率0パーセント。
当然ながら傘なんざ持って行ってやしない。



「……ざまーみろ、だ」



常日頃から無意味に家具を買い漁って事務所を倒産の危機に追い遣っている報い、 雨に打たれて濡れ鼠にでもなってきやがれ。

ギギナがずぶ濡れになって帰って来る様を想像して、少し気分がよくなる。
ついでに風邪でも引いてくれたら、尚良いのに。


こんな素晴らしい気分のまま領収書の整理なんて御免蒙る俺は同じ紙でも書物の方へと手を伸ばす。
読みかけの本。残り数十ページだし、この機会にでも読破することにする。


ぱらぱらとページを捲る音と、窓を叩く雨音の二重奏。


本を読み始めてから直に一時間。
しかしエリダナに降り注ぐ雨は一向に止む気配が無く、寧ろその勢いは増してさえいるようだった。



「……遅いな」



たかが咒弾を取りに行っただけで一時間。
掛かり過ぎだ。

ギギナの場合、小雨程度なら傘も差さずに歩き回るお子様ドラッケンだ。
しかし、今のエリダナは小雨ではなく結構な雨でいくらギギナとはいえどもどうだろう。

濡れて風邪なんか引いちゃったりして。

生体系咒式士の身体の作りなんかからは有り得ないことだけど、家具好きとか猫嫌いとかギギナのあの意外性の観点から 攻めれば有り得るかも。

そしてついでとばかりに上から下までずぶ濡れなギギナを想像してみて、水も滴るなんとやら、 なんて言葉がヒットした自分は相当キてる。


一時間前と全く同じ想像なのに、一時間前とは打って変わって何でこうなるかな。



「……あーもー、ちくしょう」



好都合にもギギナは傘を持って出掛けていないので理由ばっちりだ。
しかもちらりと見やった傘置き場には傘が一本。

どこまでも好都合―――いやなんでだ、不都合だろうが。

これじゃまるで俺がギギナを心配して迎えに行くみたいじゃないか。
そんな新婚バカップルみたいな真似、御免蒙る。



「そう、床。床だ。ギギナが濡たまま帰って事務所に入って床が濡れて。そしたらその掃除は俺がしないといけないから。 それはとても面倒で。だからだからそういうわけで。だから別にギギナが風邪引かないかとか心配な訳でも、 ギギナが濡れた様もまたちょっと格好いいんじゃないかとか思った訳でも、まして相々傘をしたい訳でも無くて」



ぶつぶつと、それこそギギナが聞けば揶揄されるしかないような。
傘を握りしめながら、そんな取ってつけたような理由をぶつくさ呟く俺は今きっと、誰が見ても阿呆ほど阿呆だ。





灰色の空の色。
あの銀色の瞳に少しだけ似ている気がした。






本当はギギナがガユスに傘を持ってくネタだったなんて言いません。(‥)


05.8.29  わたぐも