82.日向ぼっこ






ジオルグ・ダラハイド事務所は珍しく閑散としていた。
それもその筈、いつも所内を賑わす咒式士たちも今は仕事で出払っている。
そんな事務所に留守番に残されたのは二人、よく喋る赤毛の青年と寡黙な長い銀髪の青年。
しかもこの良く喋る筈の青年が今は咒式を紡ぐことに専念している為、この沈黙具合は起こるべくして起こっている。

最も、閑散としているのは留守番の筈の二人が不在の事務所内だけ。
沈黙しているのは二人の間に会話が無いというだけで、咒式発動に伴う騒音や爆音はそれなりに二人がいる空き地に響いている。





「こんのっ…、糞ギギナッ!」


今日こそ昔日の恨みを晴らしてやるッ!
そう心に誓った俺が全身全霊を込めて放つ<爆炸吼> アイニ は常に眼前で憎たらしい秀麗な顔を始終晒している銀の美神の化身か何かに直撃する、 ―――筈だった。


「……ぅ、わっ!?」


しかし咒式の完成間近、引き金を引くと同時に予告もなしに当てられた殺気に身が竦んだ。
そして意識が拡散した為、俺が組み立てていた組成式は崩壊。
組み込んだ制御式のお陰で暴発こそ無かったものの、不完全な形で発動した<爆炸吼> アイニ はその場で小規模な爆発を起こした。
そしてその余波である熱風と僅かな炎が術者である俺へと逆流してくる。

突然の事態に頭が付いていかず混乱、俺は魔杖剣を放り投げて地面に尻餅をついた。


「…び、吃驚した…!!」


過度の運動量のせいだけではなく、ばくばくと心臓が煩く喚く。
火薬の焦げた匂いが広がり、漸く自体を飲み込む。


「情けない」


溜息交じりの美声は爆発が起こった向こう側からやってきた。
爆煙と土煙が晴れて現れたのはあれだけ動いたのに息を乱すどころか汗一つかいていない綺麗な呆れ面。
しかしその面、というか行い、さらに言えば存在自体に反感を覚えてしまう俺の心情を責める者はいないと思う。


「何言ってんだよ、元はといえばお前が悪いんだろ!見るだけ避けるだけ反撃しないっつったのに最後になって威嚇してきやがって!」


しかし俺の反論にも眼前のドラッケン族は訓練が始まった頃から変わらぬ涼しい顔のままだった。


「お膳立てされた横槍無しの咒式など子供騙し。実戦で使えてこそだ」


反感はあっても反論は無い。
悔しいがギギナの言うことは最もだ。
いくら理論が完璧でも実際に発動できないなら戦場では死ぬ。
腕力が勝敗を分ける全てではないが、力無くしては絶対に生き残れない。

そう頭では理解してはいるものの、ギギナに言われて素直に納得出来る心は持っていないので、ぷい、 とそっぽを向いた。
子ども過ぎるとは思うが、これが現状精一杯の反抗でもある。侘しい感は否めないが。
すると左側面からは呆れた溜息が聞こえた。







どういうわけだか今日のこの訓練、何の罠なのか誘ってきたのはギギナの方だった。

一人早めの昼食から帰った俺が事務所の応接室へと入ると所長達は俺と入れ違いに仕事に向かったらしい、 そこにはギギナしかいなかった。
ギギナと留守番かーどうしよう家具との団欒なんて聞かされたら夢に見そう、と思っていると目が合った。

すると奴は「今から貴様の訓練をするから外に出ろ」と言った。

単刀直入無愛想極まりないその言葉からは何の訓練なのかは推し量れない。
格闘訓練だったらどうしよう横腹痛くなるなー、なんて思っていたら連れて来られた場所は事務所からまぁまぁ近い練習場、即ち空き地。
そこは偶に攻撃系咒式をの練習に使っている場所でつまり、行われるのは格闘訓練ではないらしかった。

まぁギギナ相手なら容赦も加減も一切無しに咒式を放って構わない。
多少周りの建物が壊れたってそこはギギナのせいにしてしまおう、死人に口無し。
そんな訳で俺は先日折られた肋・両腕の雪辱が晴らせる、と嬉々として咒式を放っていたのだがこれが中々ギギナに当たらない。
次第に訓練ということも忘れムキになった俺が、速さで追いつけないのなら、と<爆炸吼> アイニ を紡ぎ放とうとした途端。

冒頭の通り、返り討ちというか嫌がらせというかなんかそんな感じの目に遭った。







「もう一度だ」

「…わかってる」


ギギナに言われ、俺は渋々と立ち上がり地面に転がる魔杖剣を拾う。
構えたその先端に再び咒式を紡ぎ、細い指に掛かった引き金を勢いよく絞る。


「………あれ?」


しかし薬室から咒弾が発射される手応えは無く、軽い音しかしない。
おかしいな、と思いながら続けて二、三度引き金を引くがやはり咒式は発動せず、カチカチと 撃鉄が空回る音しかしない。
そこで俺は漸く弾切れだと気付き、腰に下げた小鞄から予備弾倉を探る。
その動作を眺めていた戦術指南講師の鋼の瞳が厳しく責める様に細まった。


「咒弾の残り弾数はきちんと把握しておけ。そして立て続けに何度も引き金を引くな。ヨルガは自動弾倉式、 引き金を絞るだけで簡単に次弾が発射される。今のその状態が弾切れでなかったと仮定して、動揺で乱れた咒印組成式を 引き継いだ咒式が暴発したらどうするつもりだ?あと詰め替え動作が鈍臭い」

「…モウシワケアリマセン」


いつも思うのだが戦闘技術におけるギギナの指南は的確だ。
そして的確で正確過ぎるが故に俺の口も上手く動かない。
……落ち込む、とも言う。

しかも基本以前の部分での駄目出しに思わず漏れそうになった溜息を飲み込んで、俺は腰鞄から全弾装填された弾倉を取り出した。


「あ、」


腰鞄から手を抜いた拍子、弾倉に引っ掛かった咒弾が一発零れ落ちた。
薬莢内がしっかり詰まった咒弾は少し鈍い音を響かせて一度だけ跳ねる。 そして茶褐色の地面を転がり、ギギナの足にぶつかって止まった。
薬莢が停止しても俺の気分降下は止まらない。
どうも先程から間抜けに情けないことばかりしている気がする。

今度は飲み込めなかった溜息を吐くと、俺が落とした咒弾を拾ったギギナがゆっくりと近付いて来た。


「弾倉を新しい物に入れ替えろ」


口調こそ命令形だが、しかし意外にも発せられた美声に棘は含まれていなかった。

てっきり揶揄か厭味を言われるものだと思っていた俺はその聞きようによっては―――優しい、とも取れる 声音に身構えていた力も抜け切って、ぽかんと頭半分高い場所にあるギギナの顔を見上げた。


「どうした?」


その視線に気付いたギギナの瞳が俺の瞳と視線を合わせようと動くのを察知し、俺は慌てて 視線を魔杖剣へと逸らして弾倉を取り替える。
ギギナはあまり気にはならなかったのかそんな俺の奇行を追求せずに紫掛かった瞳を魔杖剣へと移した。


「では柄を両手で持て」


ギギナが今から何をするのかなんて全くわからないが、険の無い声音に促されて言われたままに両手で支える。
そしてギギナは俺の落とした咒弾を握る方とは反対の指を、俺の握るヨルガの引き金に掛けた。


「今この魔杖剣には最大量十三発が装填されている。その装填された咒弾が排出されればその咒弾の分だけ魔杖剣 の重量が軽くなる、というのはわかるな?」

「…それって単純な足し引きの問題だよな?それくらい小等学生時代の俺でもわかるけど」


馬鹿にしてるんですか、という意味を込め少し恨めしそうに見上げるとギギナが厭味じゃない雰囲気を纏って笑った気がした。


「では今から私がヨルガの引き金を引く。咒弾を一発使用する度に排出された咒弾の重量分だけ軽くなってゆく 魔杖剣全体の重量を感じ取れ」

「…う、うん?」

「引くぞ」


結論を言わないドラッケンの説明ではそれが何になるのかは相変わらず全くわからないが、しかし言われた通りに魔杖剣 の重量の変化を感じるべく神経を集中する。
そして俺の意識が完全に魔杖剣へと向いたことを確認したギギナが引き金を引く。
個人識別装置によってヨルガに主と認証されないギギナの白い指は何の咒式も発現せずに、 無機質な音を響かせながら一つ、また一つと薬莢を排出していく。

そして先刻俺が三度程響かせた撃鉄が間抜けに空を切る音が最後に一度だけ響く。


「全弾排出した。これで残り弾数はゼロだ」


引き金に白磁の指を掛けたままでギギナが呟く。


「変化は?」

「……なんと、なく…」


言われて見れば軽くなってるかも、程度に何となくにしか感じられない本当に微細な変化だった。
難しい顔をしているであろう俺にしかしギギナは、それで良い、とでも言うように頷き言葉を重ねる。


「ではその各残り弾数における魔杖剣の各重量を覚えておけ」

「何で?」

「咒弾の残り弾数は頭で数えるのではなく、魔杖剣の重量で確認出来るようにしろ」

「あー成る程、重さで確認するなら度忘れしても大丈夫……って、無理に決まってるだろ!?」


納得しかけて俺はその無理難題に気付き慌てて反論する。


「お前、魔杖剣一振りでどれだけ重さがあると思ってるんだよ?そこにたかが咒弾一つの重さが加わったところで1000メルトルと 1010メルトルの違いを地球儀で見分けるような神業だぞ、出来るわけ無いだろ!?」

「ならば分かるようになれ」


無理だと騒ぐ俺の文句をギギナは完璧に無視した。


「何も今すぐ出来るようになれと言っているわけではないし、状況に余裕があるならば目で見て確実に確かめれば良い。 ただ戦闘では腕力や咒力は勿論、その場での判断力や先を読む思考力も勝敗に深く関わってくる。 しかも貴様はより後者を必要とする後衛職。それが咒弾の残弾数如きに思考を割くな」


俺の未熟を嘲笑うでも馬鹿にするでもなく、只々どこまでも真摯に鋼の瞳が見つめていた。

ギギナの言うことはわかる。

咒弾だけでならわからないことは無い…と思う。気がする。
だがそこに魔杖剣が引っ付いてくるとなると話は別だ。
ヨルガに比べて些細な重量しか持たない咒弾が一つ減ったところで魔杖剣の総重量には大した変化はない。つまり見極めは困難。
しかも最終的には極度の緊張状態にある戦闘中にそれを見分けろだなんて一つのボールでカスタードと生クリームを分けて作れと 言われているにも等しい。やっぱり無理。


応、と言えずに黙り込んだ俺をギギナは急き立てもせずにじっと待っている。
未だ引き金に掛かったままの白い指はヨルガの草臥れ始めた拵えには不似合いだなと思った。

そして正に渋々、といった具合に口を開いたのは俺の方。


「…ギギナもそうやって確認してるのか?」

「応」

「じゃ、ひとつ聞いてもいい?」

「なんだ」

「お前が最初その方法を教えられた時って今の俺みたいに、出来るわけ無い、って思った?」


俺の子どもみたいな問い掛けにギギナは少しだけ目を見開いた。
そこには愚図る弟を宥める兄のような、なんとも形容し難い感情が浮かんでいた。


「貴様がそれが出来るようになった暁になら、祝辞として教えてやらないでもない」

「…やる気出ない景品…」


不貞腐れたような俺にギギナがまた笑った。
一日に二度もギギナが笑ったので驚いてその顔を見上げた。
そこにはクエロ一筋の筈の俺でも思わず見惚れてしまった程に柔和な色が滲んでいた。

するとギギナは引き金から指を外し、俺の左手を取った。
そして先程から握ったままだった咒弾を俺の手に握らせ、挑発的なのか甘いのか判別付かない声音で言った。



「だが、私の隣に立つ者がその程度の事も出来ない筈があるまい?」




凍えそうな色の指に握られていたのに、渡された咒弾には熱い体温が移っていた。















「ほら、ギギナ君もガユス君もちゃんと留守番してくれてたじゃないか。 それに春の陽気も相まってか、所内の雰囲気が少し和やかになった気がしないかい、クエロ君?」

「では所長と私の間の雰囲気も和やかにする為にも、所長は溜まった書類の決裁に命を掛けてください」

「ギギナさんがそんなにも世話焼きだとは知らなかった。己の無知を恥じて死のう」



仕事帰りに遅めの昼食を摂ってきたジオルグ所長。
昼食ついでに所長が午後の仕事から蒸発しないように見張りついでに付き合ったクエロ。
そして水分補給され脱水自殺を防止されたストラトス。

その三人が事務所に帰還し扉を開けて目に入った光景、即ち咒弾を入れては魔杖剣を持ち上げ、咒弾を抜いては 魔杖剣を持ち上げている俺と、それを機嫌良さそうに眺めているギギナという組み合わせに三者三様に小首を傾げたのは 黄金時代の蛇足的一風景。






ガユスが事務所に入って一ヶ月目くらいの出来事のつもり。
自分が拾ってきた仔猫が家族皆のアイドルになってしまってなんだか面白くなかったドラッケンの子はぼちぼち口説きに掛かる。


06.2.27  わたぐも