「ガユス」


あまり繁盛していない事務所にいるのは先程からだんまりを決め込んでいる赤毛眼鏡の青年。
そして珍しくも先程から言葉を紡ぎ続けているのは銀髪銀瞳のドラッケン族の青年。


「その下らぬ戯言しか思いつかない脳が死滅しているのは以前から周知の事実だが、 その腐敗臭が骨の髄まで浸透し脊髄反射も不可能となったか」


何を言っても普段の悪態どころか返事の一つも返してこない相棒。
そんな彼に対してドラッケンの青年は似合わずも本日何度目かの溜息を漏らした。






80.コミュニケーション






事の始まりは朝、全てにおいてギギナの言動・行動が諸悪の根源。
ついでに全ての悪事もギギナが根源、俺は断じて悪くない。





「ヒルルカ、今日は一段と美しいな。やはり早くお前にふさわしい婿を探してやらねばならぬ」

「言っとくがこの事務所内でその新婚夫婦が生活できるスペースは経済的、道徳的、 そして何より物理的に存在しない」


ドラッケンの意味不明な惚気話を一刀両断すべく口を開いたのだが、如何せん家具の話。
ギギナは意外そうに片眉を上げて返答。


「ほう、貴様は我らが娘の独立と新たな家庭の営みを尊重する派か」

「お前の変質的椅子愛好精神上の訳分からん派閥にごく自然に俺を分類するな。 しかも“我ら”ってなんだ」

「貴様が腹を痛めて生んだ娘なのだから当然だろう?」

「生物学的、物理的、人体構造的、そして何より俺的に有り得ない」


分かっている。
家具の話になれば何を言ってもギギナは良いように捕らえやがる。
普段の口下手はどこに行ったな勢いだ。

これと同様の効果が咒式具の話題のときだ。
以前、ロルカ屋でイーギーと会った時だって―――。


「あ」


イーギーで思い出した。
俺は右手に掛かった重みを確かめる。
それは小さな紙袋。

ギギナは未だ何か椅子に向かってお世辞を言いまくっているので大自然の摂理で無視して 俺は事務所の簡易台所に入った。






「何だそれは」


いつの間にやら日課となった朝の珈琲。
気が付けばそれはギギナの分まで淹れるようになっていた。
俺って親切すぎ。


「珈琲。毎朝淹れてやってんだろ?」

「そんなことは分かっている。私はそれはなんだと聞いている」

「会話の初頭から主語を代名詞で置くな。そんなんだから許婚に尻を蹴り飛ばされるんだよ」


“許婚”のその一単語にギギナの頬が引き攣る。
憤りと恐怖が入り乱れるその配分は一対九と言った具合か。

ギギナの手がネレトーに掛られたが思い止まる。
ギギナにとっては“それ”が何なのかの方が重要らしい。
禁句の一言が連れ添う悪夢を振り払うよりも重要って凄いな。


「それはそれだ」

「どれだよ。単語で言え」


どうにも口に出すのを憚ったらしいギギナは指を指すことで示した。
それを辿って行き着いた先は俺の手元の珈琲が注がれた陶器。


「……この陶杯のこと?」


ギギナが重々しく頷く。
ギギナの言う“それ”とは俺が手にする新しい陶杯のことらしい。


「いいだろ、陶杯新たに気分転換」

「安いリラックス法だな」

「うっさい。なかなかセンスのいい柄じゃないか」

「ガユス仕様の安い柄だな」

「気に入ってんのに何、その言い草」

「まぁ、貴様にしてはセンスが良いと言えないこともない」

「俺が買ったんじゃねぇよ」

「?」

「イーギーに貰ったんだよ」

「……何?」


愛娘との団欒で絶頂ご機嫌だったギギナの纏う空気。
それが瞬間的に不機嫌一色に染め上げられる。
<長命竜>に挑むような殺気が応接室に充満。
なんでだ。


「いつだ」

「え」

「いつあの小僧と会った」


なんでお前にそんなこと言わなくちゃならないんだ。

そう思ったが口に出来ない。
そう、目の前のギギナの殺気が有り得ないから。


「…き…昨日、俺の家の前で偶然イーギーに会って……」


それを聞いたギギナの眉が跳ね上がった。


「…偶然…だと?」

「あ、当たり前だろ!アイツの家は俺の家とは正反対の方角なんだから!」




昨日の仕事の後、ギギナは家具の夜市に向かった。
家具に興味のない俺はそのまま自宅へ。

すると何故か偶然俺の家の前にイーギーがいた。
声を掛ければかなり慌てふためいた様子でおどおどしながら物凄い勢いで一つの紙袋を 突き出してきた。
それと同時にかなりどもった様子で何か言っていたが噛みすぎで聞き取れない。
そしてそのまま走り去ってしまった。

長い耳を夕日で真っ赤に染めて。




きっと偶然ばったり出会った為にイーギーも驚いたんだろう。
だが貰えるものは貰っておく。
柄も結構俺好みだし、そろそろ新しい陶杯が欲しいと思っていた頃でナイスタイミング。
何でイーギーが俺にこんなものくれたのかは全くもって分からないけど。

そういえば、あの陶杯と一緒に入っていた手紙に


『俺は魔王から姫を救い出して見せるからなッ!』


とか書いてあったけど、あれって何だったんだろう。


目の前で何故か殺気を漲らしているギギナに聞いてみようかと思ったが、人語を理解できない ドラッケンに俺に解けない謎が解けるわけがないのでやめておこう。
それに今のギギナに話しかけるには命をかけなきゃいけない気がする。


「……ガユス」

「…な……なんでしょう?」


殺意の塊のような声で呼びかけられれば、声が震えるのは仕方ないと思う。
目線は決して合わせるな。
狩られる。


「なにやら台所から異臭がするがガス漏れではないのか?」

「ウソッ!?」


火はちゃんと消したはずなのに!?

俺は陶杯を机に置いて慌てて台所に駆け込む。
俺の鼻では何も感じないが生体咒式で強化された感覚を持つギギナが言うのだから 用心に越したことはない。

火の元を一つ一つ点検し、異常の無いことを確認。
安堵に胸を撫で下ろす。

―――のも束の間。


ガシャンッ!


今度は応接室の方から何やら破砕音が響く。


今度は何ですか!?

慌てて音源に走ればそこには片手にネレトーを掲げたギギナ。
その前には無残にも粉々に砕け珈琲の海に沈んだイーギー贈呈の陶杯。

俺はあの時の清々しく達成感に満ちたドラッケンの表情を忘れない。










何故、陶杯破壊に関する口論の結末が


『もうお前とは口を利かんッ!』


となるのかは甚だ謎だ。
やはり眼鏡の思考は未だ読めん。

そして当初、このお喋り癖の激しい眼鏡にそんなことが出来るわけが無いと高を括っていたが 意外にも一時間が経過しようとしている。
陶杯が壊れたくらいで、しかもあのアルリアン絡みでそんな根性を発揮するな。


「……ガユス、貴様陶杯如きにいつまで拗ねている」


言葉遊びは得意ではない。
もともと他人と交流を持つのも苦手なのだから当然だった。
そして不得手を押してこの小一時間、口を開き続けてきたがいい加減限界と言うもの。


「ガユス」


もともと乏しい会話のネタも遂に尽きた彼はただただ相棒の名を呼ぶだけになった。
いつもなら名を呼べば何らかの反応を示すのだが、名を呼ばれる彼の不機嫌具合は 不動安定恒常一定。

その不撓不屈の精神に勇猛で誇り高い戦士はどうにも渋面しか作れず、 眉間による皺は三割り増し。



―――確かに、今回のこの騒動に引き金を引いたのは自分だ。


だがその引き金を引かせた原因はどう考えてもガユスにあると思う。


他の男から貰ったものをあのように嬉しげに自分の前で掲げるから


その光景に無性に苛立った。

そんな表情をするのは自分の前だけでいい。
そんな表情をさせるのは自分だけでよい。


「…陶杯くらいまた買えばよいであろうが」




―――コツン


ポツリと漏れたその言葉の後、何かがギギナの頭に当たり床に落ちた。
視線を落とせばそれは紙飛行機。

私が作ったのではないのだからガユスだ。
視線を移せばヤツは「開けろ」と視線で促している。

逆らう理由も無いので指示に従い紙で出来た飛行機を手に取り開く。



『てめぇのせいで金が無い!!』



と、殴り書きのように書いてあった。


「貴様、私とは口を利かんのではなかったか?」


するとまた紙にペンを走らせ、またご丁寧に紙飛行機を折りこちらに向かって飛ばしてくる。


『紙に書いただけ。口は利いてない』

「屁理屈だな」

『屁理屈だろうが理屈は理屈』



視線を紙からガユスに戻せばふいっと視線を逸らされた。

一見不機嫌そうなその仕草は、しかしそこまで不機嫌ではない時のガユスのそれ。
それは本人は気付いていない、私だけが知る癖だが。



―――たまには飼育動物の戯れに付き合ってやるのも悪くは無い



ギギナは手近にあった紙とペンを取り、そして同じように紙飛行機を取りガユスに向かって飛ばす。



『その屁理屈と料理の腕だけが貴様の取り柄だからな。存分に磨いておけ』



するとガユスは驚いたように目を丸くした。
その内容ではなく、私が自分の遊びに乗ってきたことに驚いたのだろう。

しかしまた次にはすぐに手にペンを持ち紙に綴る。



『ギギナの特技は暴れることと食うことだもんな。同じ二つでも質として俺のほうが上』

『まだ重要なものが残っているであろうが』

『え、なんかあったっけ?』

『床上手』

『自分で言うな、もとい書くな』

『否定はしないのだな。まぁ、貴様が一番身を持って実感しているのだから当然か』

『すまん、今何故だか唐突にギギナの書くドラッケン呪いの文字が読めなくなった』

『別に構わん。私は私で記してゆくだけだ。@ガユスの寝台上における乱れ具合について』

『やめろこの超弩級変質ドラッケンッ!!』





取り留めの無い会話。
ちらりとガユスの表情を伺えば、楽しそうな横顔。





『それはそうとガユス』

『新しい家具なら認めない』

『……まだ何も言ってはおらぬが』

『違うのか?』

『…姪が』

『却下』





『ていうかお前、紙飛行機の折り方違うし』

『何故だ、ちゃんと飛んでいるではないか』

『飛んだら成功ってその考え方はおかしいぞ。お前の紙飛行機は飛ばすというより投げつけるだ』

『…………違うのか?』

『違う』





『……こうか?』

『違う!何回折る気だお前は!?開くこっちの身にもなれよ、これはもはや丸めた紙くずだ!』

『ではこうか』

『最初に戻った!』

『分からぬ』

『だから言ってんだろ。まず半分、一回開いて中央の線に沿って三角を二つ作るんだよ』

『…三角…』

『ネレトーで切り取るな!!』





『なぁ』

『何だ?』

『なんで陶杯壊したりしたわけ?』

『気に食わんかったからだ』

『俺の陶杯、無いんですが』

『新たに買えばよい』

『あれがいい』

『ふざけるな』

『お前がふざけるな』





『てかお前、マジでどうしてくれんだよ』

『何も問題など無いであろう?』

『今度イーギーが家に来たらどうすんだ』

『……貴様、まさかとは思うがあの長耳を家に上げたことがあるのではあるまいな?』

『あるけど?』

『………』

『え、何、その地を這うような機嫌の悪さは』





もう何通目かも定かでない紙の応酬。
床は一面、何かしら文字の書かれた紙で埋め尽くされていた。





『好き』





届いた中身はその一言。
瞠目して顔を上げれば見紛うことなく赤い顔。

勢いに任せたものとはいえ叩き付けられたその文字に表情が和む。





『知っている』

『俺の方が好き』





つまらぬ事ほど良く喋る口だが、思っていることほど喋りはしない。
言わないことが既に言っていると同義なのだがやはり心地よいことは否めない。

戦士である自分にとっては言葉よりも行動が己を示す全て。

しかしそうでないこの男には言葉と論理が己を示す全て。





『ならば証拠を見せてみろ』

『証拠?』

『貴様の言うことが真実であるという証明だ』





嘘吐きの貴様には難解過ぎる問題であろうがな?


そう含んだ視線を向ければガユスはむっとした様子で


『少し待ってろ馬鹿ギギナ』


折るのも面倒になったらしく丸めて投げつけ、紙との睨み合いを開始した。

その様を眺めているのも悪くは無い。
しかし。



「ガユス」

「何だよ?今俺忙しいの」



だから後で。


そう言って未だ紙と睨みあいを続け、自分を邪険に扱う彼。


―――面白くない、と感じるのも仕方ないであろう?


その視線が熱心に己以外のものを見つめているのだから。

自分がふった質問が原因であるのに、そのことはもうギギナの頭の中からは抜け落ちているようだった。




「うわっ!?」


唐突に何の予告もなしに後ろから抱きすくめて口付ける。


「…ふっ…ぅん…!」


ガユスといえば事態を理解できずに翻弄されるまま、鼻に抜ける甘い声を上げるだけ。

思うように口内を荒らし、それなりにギギナが満足した頃には既にガユスは全身の力が抜け切っていた。
そして涙目で自分を支える男を睨み上げる。


「…何を朝っぱらから盛っていらっしゃるんですか、ギギナさん?」


盛大の非難を込めて見上げるも自分を見下ろす男の目には満足げな光。


「やはり、こちらのほうが良い」


ガユスの首元に赤い唇を寄せつつ一人で納得するギギナにガユスは上ずった声を上げる。


「…んっ…ちょっ、と…ま…って、おい!?」


流されそうになるのを必死に堪えていたが、気付いた頃には既に ガユスはソファの上で組敷かれていた。


「待てギギナ!俺は今お前とは話をしないことにしている!」

「もう散々喋っているであろうが」

「んなわけな……あ、あれ!?」

「私は先程まで貴様のお遊びに付き合ってやった。だから今度は貴様が付き合うべきであろう?」

「何、その唯我独尊な俺様論!?」

「やかましい」

「…ぁ…っや…まて、まだ証明が…!」

「ならば今からしてもらおうか」



文字よりも言葉よりも確かに伝わるその行為で。



「ガユス」



甘く凶悪に耳元で名を囁かれたなら、囚われた獲物は堕ちるしかないじゃないか。



―――第二コミュニケーション開始。





イギ友情出演。しかし想いは伝わっていないようで残念!(酷)
あの二人ならこんな遊びもやってそうだなぁ、と思ったのが始まり。ギギガユ文通風味。
そろそろ自分の脳内が危険信号を発する今日この頃。


2005.7.3  わたぐも