「昨日もぉー、俺が泣く泣く領収書の整理してたらぁー、いきなりぃー」
「おいおい、人前でんな事言うなって」
人のものってわかってるけど流石の俺もへこむから。
「大体、いつからヒルルカがお前と俺の娘になったってんだっ!」
「ヒルルカって誰だよ?」
てかお前らの娘ってどういうことだ、聞き捨てならねぇ。
「愛娘だってんなら糞重い自分の体重かけてんじゃねえよ!」
「娘の上に座ってやがんのかよ…どういう教育方針だドラッケン族」
ランドックの親父でもそんなことしたこと無いぞ。
「婿でも何でも勝手に探してろっ!」
「婿探しねぇ…いやまて、一体いつ生まれたんだよその愛娘は」
先に自分の嫁でも探してさっさとガユスの前から消え失せろ。
ここはエリダナのとある酒場。
そして俺の隣でさっきから盛大に愚痴っているのは…。
「イーギィ、ちゃんと聞いてんのかぁー?」
ガユス・レヴィナ・ソレル。
この俺、イーギー・ドリイエの愛しの君は酒癖が大変悪い模様。
50.酔っ払い
紅く染まる空の下のエリダナ大通り。
今夜は久々に仕事が入ってないのでロルカ屋に咒式具でも見に行こうかと足を向ければ、
その視界に入ったのは普段から赤い髪を夕日で更に赤く染め上げた眼鏡、つまりガユス。
しかもなんとあの毎度毎度邪魔ばかりする糞ドラッケン剣舞士がいない!
つまりガユス一人!
うっしゃ、絶好のチャンスッ!!
ここぞとばかりに飯にでも誘おうかと考えていたら、同じくこちらに気付いた何やら本日ご機嫌斜めな様子の
錬金術師はずかずかと俺の前にやって来て胸倉を掴み一言、
『付き合え』
と、ドスの聞いた声で逆ナンしてきた。(少し違う)
残念ながら「そっち」の付き合いじゃあなかったが喜んで誘いを受けた俺は今現在
ガユス曰く『ギギナが知らない酒場』とやらに入り今に至る。
「なぁイーギー、ほんとちゃんと聞いてんのかぁ?」
「あぁ、聞いてる聞いてる」
お前の話を聞き逃したりするはず無いだろ。
絶対。多分。きっと、いや恐らく。
「ほんとにぃ〜?」
俺の返事が信用出来ないらしいガユスが顔を近づけ上目遣いに睨んでみせる。
酒のせいで赤み掛かった頬と潤んだ瞳が誘っているように見えて仕方ない。
「じゃあ復唱してみれ」
その表情が離れていくのに残念さを感じていると、びしっ、という効果音が付きそうな勢いで
男にしては細い指を俺に突き出し呂律の回らなくなった舌から指令が下る。
はっきり言ってやっぱり全然まったく聞いてなかった(見惚れてたんだから仕方ないだろ)んだが、
ここでこのお姫様の機嫌を損ねるのは非常にまずい。
なので。
「…ドラッケンが、全部悪いんだろ?」
差し当たりの無い答えを選んでおく。
ガユスの愚痴は大抵あの糞ドラッケンについて。
だから一緒に酒を飲む時のガユスの肴はいつもギギナのこと。
「ん、そぉそぉ!」
…うーわー…それは反則でしょう、アナタ。
俺の返事に満足そうに笑うその表情は年齢よりもずっと幼く見える。
それはアイツにではなく、俺に向けられた笑顔。
今、俺だけに。
「―――ガ、」
「…あれぇ…?」
思わず伸びた俺の腕を鮮やかにかわした(俺としては今の回避行動は無意識であったと信じたい)
ガユスがボトルを覗きながら間延びした声を上げた。
「…無くなったぁ……ぁ、マスタァ、追加〜」
「ってまだ飲む気か!?」
いやだって、コイツ、ここに入ってから飲みっ放しだし。
流石に飲みすぎだと思う…てか今のこいつを見たら誰だってそう思うだろ。
この様子じゃガユスの体内には解毒作用のある咒式は働いてないみたいだし…。
俺がどうしようか悩んでる間にもガユスは運ばれてきた新たなボトルに手をつけ始める。
「お前、本気でいつまで飲む気だよ?」
「…別、に……いーだろ…」
いやよくないだろ。
だってお前なんかひっくひっく言ってるし、え、なに、マジで潰れる5秒前?
ここで酔い潰れたらまずいんじゃないか今後の展開としてお前的にも俺的にも。
いや俺的には全然オッケーなんだが。
俺が理性と本能の間で格闘してる最中、突然酒場内にひゅー、だか、きゃー、だかという黄色い喚声が響いた。
「ここにいたか、ガユス」
俺とガユスの間に酒場内の騒音を物ともしない鋼の声が割って入る。
「……ぇ…ギギ、ナ…?」
消して大きくはない音量だったがそれでもガユスを振り向かすには十分だった。
予想もしなかった、しかし待ち望んでいたであろう人物の登場に蒼い瞳が戸惑いに揺れる。
俺としては大いに気に入らないんだけど。
「…お前…何でここ…知って…?」
「…………以前、貴様がこの酒場の話をしたことがあった」
ガユスは「そうだっけ?」と首を捻っている。
あーあ、阿呆ドラッケンのわっかりやすい嘘にそんなあっさり騙されて……日頃のあの疑り深い君はどこ行ったの。
疑問符を浮かべるその表情が可愛いから許すけど。
そしてギギナといえば俺には一瞥もくれず(しかし殺気はくれる)、さっきからじっとガユスを見ている。
あーもー、何もしてませんってば。お前と一緒にするなっての。
「……ガユス、帰るぞ」
ようやく恋人の無事を確認したドラッケンはさっさと退散する腹積もりのようだ。
少しくらい俺に絡んだりしないわけ?相変わらず無愛想な奴め。
「ぇ?あ、う―――」
うん、と言いかけるが不意に言葉が途切れた。
顔には「あ、そうだった」と書いてある。
何かを思い出したらしい。
そして衝撃発言。
「―――ヤダ」
「「…………は?」」
最初で最後、俺とギギナの間抜けな声が見事なまでにハモった。
「……帰らない」
「貴様、何を―――」
「俺は悪くないし。ギギナが謝るまで帰らない。イーギーと一緒に飲む」
言い終わると同時にガユスが俺に抱きついてきた。
酔い任せとはいえ嬉しいことを言ってくれるぜ、お姫様。
しかし嬉しいんだがこれってもしかして正面の魔王の怒りの一撃に撃たれて
木っ端微塵に刻まれてみたりするんじゃないですか、俺。
恐る恐る顔を上げれば意外なことに、怒りではなく珍しくも困惑を貼り付けたドラッケンの秀麗な面があった。
どうも今回はガユスから抱きついてきた為、俺に手を出すにも出せずどう宥めたらよいのかわからないようだ。
無理矢理連れて帰ろうとしないあたり、ガユスの酒癖には毎度毎度よっぽど手を焼かされてるってことなんだろう。
しかも今夜のガユスの不機嫌の原因はギギナらしいし、そこんとこがこのドラッケンは稀有にも後ろめたく感じられるらしい。
(いつもはそんな感情おくびにも出さないくせに…)
普段からもうちょっと優しくするとかしとけばつまらないことで喧嘩する事も無いのにこの阿呆にはそれが出来ないらしい。
一度忠告してやろうかと思ったが、それじゃいつか聞いた「敵に米を送る」なのでやめた。(またちょっと違う)
しかもこいつの場合、万が一にもお返しは無い。
あっても精々ネレトーの刃くらいだ。死ぬし。
そしていまだ抱きついて離れない赤毛咒式士は相変わらず可愛らしい表情で、つん、と拗ねた御様子。
なんかあれだ、『浮気が発覚、怒鳴るでもなく無言の圧力で返事を待つ彼女にどう話を切り出そうかと悩む彼氏』、みたいな図だ。
で、挟まれた俺はといえばその仲介に呼ばれた無関係な友人、ってとこか?
いや、決して無関係じゃないんだけど。
そんな俺は一人ため息を付くしかない。
意地っ張り同士世話が焼けて仕方ない。
もうギギナが出てきた時点でガユスお持ち帰りは不可能なわけだし?
それならガユスの気持ちを汲んでやるのが男ってもんだろ。
だからギギナ、お前に負けたわけじゃないからな。
そんなことを心の中で一人ごちながら俺はガユスの肩に手を置いた。
傍から見れば抱き合ってるように見えなくも無い。
それに感づいたギギナの眉が不快隠しもせずに跳ね上がる。
翻訳するなら『触るな』、だ。
「―――貴様…」
「ガユス、今夜は俺と一緒がいいってさ。無粋なドラッケンはお呼びでないんじゃねぇ?」
殺気を殺意に変えた銀の瞳と挑戦者な青の瞳。
そして先に口を開いたのは銀の美貌。
「ガユス」
「……何」
「飼育動物を仕付ける一〇〇の方法にこうあった。
『時に愛玩動物の意思を尊重し、精神の安定を図るのも飼い主の務めです』とな。
……貴様がそこのアルリアンの小僧と寝たいのならばそれもいいだろう」
「………」
ギギナの言葉にガユスが俺のシャツを握り締める。
「だが、こうもあった。
『甘やかし過ぎは愛玩動物にとって教育上よくありません。
時には自分の意見が通らないことを学ばせるのも飼い主の務めです』」
そして言い終わるや否や、ギギナは俺からガユスを引き剥がし担ぎ上げた。
「なっ…!?おっおっ、降ろせ変態万年発情ドラッケンッッ!!!」
「黙れ」
あー、俗に言う「お姫様抱っこ」だな、これは。
酔っていながらもそのことに気付いたガユスが真っ赤になって暴れるが、
やはり酒のせいでまったく力が入っていない。
「貴様の意見は聞かんと言ったであろう。…聞き分けの無い飼育動物は帰って仕置きだ」
その言葉と性質の好くない嗤み、そしてこれまでの経験から自分の末路を予想したのだろう。
俺にもわかるほど今のギギナは機嫌が悪い。
きっと二、三日はまともに歩けなくなるに違いない。
裏づけとして、ガユス本人は赤いのか蒼いのかよくわからない顔色だ。
そしてギギナはやっぱり俺には何も言わずさっさと踵を返し戸口に向かう。
「なぁ」
だから外に出る寸前、俺の呼びかけにあのドラッケンが振り返ったのは奇跡に近い。
その逞しい腕に抱えられている俺の想い人はなんと既に気持ち良さそうに寝息を立てている。
「いつになったら俺にくれんの?」
カウンターと酒場の出口。
ただでさえ距離があるのに、あちらこちらのテーブルで喧嘩が始まり一段と騒がしくなる。
「さめたら貴様にくれてやる」
騒音にかき消され音は耳に入らなかったが奴の答えは俺まで届いた。
「……今度液キャべ持って行ってやる」
俺の呟きにギギナは薄く嗤って戸口をくぐった。
隣で彼の残したグラスの氷が割れる音がした。
勢い任せに煽った酒はカクテルなのに苦かった。
どいつもこいつも、醒めを知らない酔っ払い。
イーギーは相手の幸せを一番に考えてそうなイメージがあります。いい子。
2005.4.4 わたぐも