何処までも続いていた昏い空の代わりに、すぐ行き止まりの薄汚れた天井が。

生暖かかった紅泉は、革張りのソファの冷たい感触に。

狭い部屋に一秒おきの等間隔の音が響いている。



「――――」



どうやらここは俺の自宅のリビングらしい。
秒針の刻む音よりも早い俺の鼓動。


「………ソファなんかで…寝るから…あんな夢見んだよ……」


そうだ。

そうに決まってる。


「…いくら普段から死んで欲しいと思ってるとはいえ、あれはヤバイだろ…」


よくよく考えれば、今日は<竜>退治の依頼なんか無かったし。
というか、仕事すらなかった。

一体俺は何をあんなに焦ってたんだか……馬鹿らしい。
大体、ギギナがあんな簡単に死ぬわけ無い。


あんな――――



嗅ぎ慣れた、鉄臭さ。
冷たく、軽くなっていく身体。
何も出来ない自分。

そして。





『愛している』





たかが夢だ。
そう、夢なのに。

なのにあの妙に生々しい感覚が離れない。



部屋に光が差し込んだ。
辿って行き着いた先は夜空に浮かぶ満月。
青白く輝く夜の麗人。

しかし今夜の彼は紅く染まっている。

その様はまるで。そう、まるで。


「………ッ…!!」


俺は駆り立てられるように部屋を飛び出していた。








「ギギナッ!!」


扉を開けてまず目に入ったのは乱雑に積み重ねられた咒式書。

そして領収書の束。

壁に掛けられたギギナの描いたドラッケン族栄光の一場面の画。

その上に位置する壁時計――――それの示す時間は丁度午前三時を回ったところ。


「………こんな時間に……事務所…いるわけないよな……」


いくらギギナが意味不明生物でもこんな時間から事務所に出勤はしない。
第一、奴にそんな愛社精神は存在しない。


「……何やってんだか……」


夢見が悪かった。
ただそれだけのこと。

なのに。


「……ギギナ…」


―――不安なんだ



「……ギギナ…」



―――殺しても死ななさそうなお前だから



「……ギギナ…」



―――だから、本当に死んでしまいそうで




「………………会いたい…」










「…ガユスか?」



再び、唐突に開いた扉に佇んでいたのはここにいるはずの無い人物。


「貴様、こんな時間にここで何をしている」


それは今し方会いたいと願った彼。


「……お前こそ……なんで…ここ、いんの…」


しかしこれこそ夢ではないのかと。
そしてまた悪夢の始まりではないのかと。


「知らぬ」

「………何だそれ…」


返ってきたのは、まったくもって答えになっていない答え。
でもこれがギギナという生物。

そして現実の証明。


俺は脱力して床にへたり込んでしまった。
わかりやすく言えば、つまり。


「腰が抜けたか、錬金術師」

「うっさい。一体誰のせいだと――――」

「誰のせいなのだ?」

「…………うっさぃ…」


視線を逸らせば溜め息が聞こえた。
微妙に、いや、明らかに笑いの乗った溜め息が。
それが気に入らないので何か文句を言ってやろうとしたが、それは不意に襲った浮遊感にかき消された。


「ギ…ギギナッ?」


ギギナに担がれ、着いた先はソファの上。


「貧弱眼鏡の癖に長外套も羽織らず出歩くな」


そして降りてきたのはギギナの長外套と口づけ。
夢とは違う、温かなそれ。


「寝ろ」

「…お前は?」

「貴様とは造りが違う」

「さいですか」

「ガユス」

「何?」


「愛している」


「………ん…」



やっぱ素直に「俺もだ」とは言えないな。







規則的な秒針の音が響く事務所の一室。
そこに混じる穏やかな寝息。

ギギナは意識の無い相棒に告げた。


「何故かは知らぬ」


それは白い指が知覚眼鏡を置く音と重なる呟き。


「だが、ここに来なければならぬ気がしたのだ」


紅い月は既に沈み、空は薄明かりを宿す。



――――夜が明ける。





IMG-SONG:月光花


05.2.12 わたぐも