「えと‥ガユス・レヴィナ・ソレル、です。初めま‥あー‥じゃないのか‥えと、あ‥よろしくお願いしま、す」


続く言葉が浮かばなかった。
思いつきでぺこりと頭を下げた。
エリウス群でも有数だというこの咒式事務所の面々は快く迎えてくれた。


見知った筈のそれらは、俺には馴染み薄い暖かさだった。





two traffic lane love - 8.New World





出社してから二時間は経過した。
今日だけで既に三度は見た各階案内の看板が右手を通り過ぎる。
決して広い広いひろーいこの所内で迷子になっていた訳ではない。絶対にない。絶対ない!

ベルが鳴る高い音と静かな振動、次いで自動扉がこれまた静かに開く。
昇降機の床の絨毯に続く三階の床にもふかふかの絨毯が敷かれている。開けた視界は大ホールのような休憩所。
すれ違う所員に朝の挨拶をしつつされつつ、騒がしい箇所、騒がしい箇所‥と視線を彷徨わす。


「‥という訳で。その咒式具はやっぱり経費じゃ落ちないの」
「けど俺のテンションが上がるだけで事務所の士気が」
「上がるのは良いことね」
「じゃあ!」
「自分の資金で買うのよね?」


いた。
金髪と尖った耳、亜麻色の髪が目立って騒ぐ。
探し人の姿を見止めた俺はそちらへと足を向ける。


「おはよう」


落とせる落とせない、の二択を真剣に討論していた男女の顔が、掛けた声に反応してこちらを向いた。


「おーガユス。おはようさん」
「おっはー!今日も赤毛がぴっちぴっちに刎ねてて全部バリカンで刈り取りたくなるじゃねぇかこのヤロウ!!」
「えっ!?や、それは、こま‥る」
「やーん、ガユっちったらおどおどしちゃってかーわいーのーっ!!」
「ヒッ‥!」
「ジャベイラ。ガユスのこれは遠慮じゃなくて畏怖だと思う」
「跪け愚民ッ!うちのことは姐御と呼びなッ!」


大理石の卓の上に仁王立ちの号令。
途端、“姐御”の周囲には片膝付いた咒式士達の円陣が組まれた。

今、俺が声を掛けた女咒式士の名はジャベイラ・ゴーフ・ザトクリフ。.
事務所の第三部隊隊長の光幻士。女性ながらも十二階梯と凄腕で禍つ式すら拳の一撃で倒した武勇伝に加えて人格がコレでアレなのでちょっと怖い人。
もう既に二十五人程と知り合った。知り合いたかったかは、別。


「で?」
「え?」


平咒式士を下僕の如く従える彼女から安全圏へと退避した俺に声が掛かる。
声のした方振り返ると、翡翠色の瞳があった。

イーギー・ドリイエ。
俺より二つ年下だが第二部隊隊長で十二階梯・華剣士。
見た目はどう頑張ってもチンピラでガラも悪いのだが、根は優しい‥というよりは、貧乏籤を進んで引くタイプ。
自分の相棒はジャベイラなのに、それ以外の面子にも意外と気を回すことが出来る青年。

そしてその面子の最近の筆頭に俺が入っていた。
記憶をなくした俺を何やかんやと気遣ってくれている。基本、世話焼きなのだ。そういうところはラルゴンキン所長――育ての親に似ていると思う。


「何?」
「それは俺の台詞だっつーの。何か聞きにきたんじゃねぇの?」


イーギーに問われて、ああそうだ、と思い出した。


「所長何処行ったか知らないか」
「親父?なんでまた」
「前々から言ってた前線に出る出ないの話」


言った途端、イーギーがぎょっとしたような顔をした。
自慢(‥かどうかは知らない)の長い耳がぴこん、と立った。


「前線‥って‥‥おまえ、まだ回復してねぇだろ!」
「や、別に出るかどうかはまだ決めてないって!それに何度も言ってるが外傷はないんだってば」
「中身が絶賛スクラップ中。最も記憶がなくなる前から最低だったけどな」
「酷い」


例えも浮かばねぇっつーの。と、笑われた。
イーギーはよく笑う。
豪快に‥というには威厳が足りないが、それでも明るく笑う。

所内で正午を知らせるチャイムが鳴った。
今から一時間、昼休み。
鳴り終わりと同時、思い出したようにイーギーが問うてきた。


「おまえ、昼飯は?」
「まだだけど」
「なら食いに行こうぜ」
「今日こそ彼女の手作り弁当持参?」
「‥記憶があってもなくても挑戦者だな、てめえは」


急に語調が頼りなくなった。
少しは否定できるよう、もうちょっと頑張った方が良いと思った。が言わなかった。


「貧困に喘ぐおまえにこのイーギー様が奢ってやるから感謝しろ。そして今から俺のことは神と呼べ」
「イーギー。それ、ジャベイラと被ってるから」



苦笑しながら、橙色の短髪と長耳の馴染み薄い影を追いかけた。


【New World】



良い人達だな、って思ったよ


2007.9.8  わたぐも