今日もギギナの<クドゥー>の詠唱が俺の元へと届く。





18.祈り





面と向かって言ったことは無い。

初めてギギナを見たとき、純粋に綺麗だな、って思ったってことは。


信じてもいない神。
信じるのをやめた神。


その神が本当にこの世には実在したんだと思わせるほどの美貌。
顔の右半分に描かれた天を仰ぐ竜と燃え盛る炎の青い入れ墨。
竜と炎が跨ぐのは髪と揃えた銀の瞳。
そして見惚れる先でゆっくりと開かれる美姫の唇。

最も、その赤い唇からは神の慈悲の言葉なんて零れなかったが。






出勤時に淹れた珈琲が冷め切った頃、また<クドゥー>の詠唱が響いてきた。






第一印象はまぁ、良かった。
美人だし。

しかし第二印象が最悪。
それと同時に奴が放った第一声は熾烈に凶悪。


「……あれ?」


俺、あの時なんて言われたんだっけ?

最悪だったことは間違いないのだが何故か思い出せない。
恐らく只今ギギナの足元に位置するであろう天井を仰ぐがやはりどうにも思い出せない。


「…まぁ、いいか」


どうせ思い出したところで良い気分になれるはずも無い。
それに厭味の一つや二つ、今となっては思い出さずとも日常茶飯事挨拶代わりにいつでも聞ける。

そう、今となっては。






冷め切った珈琲を一気に喉に通す。






冷めた言葉に凍えた感情。
嘲りの微笑と少ない口数。
弱さを切り捨て全てを拒絶、誇りを糧とし只々強く。

当時のギギナをまとめるとそんな感じ。
とてもじゃないけど現在のようには罵り合ったりはしなかった―― ―というか、あまり会話をしたことが無かったような気がする。
昔は今以上に無口でノリが悪かったような。

なのに一体何時の間にあんなベラベラと俺に向けての悪口を喋れるようになったってたんだ。
誰に習ったかは知らないが、そんなことよりまず数字の読み方を覚えて来い。
そして死ぬべーし。






空になった陶杯を覗き込めば珈琲の残り香が漂う。






弱さも卑劣さも醜さも全て切り捨て切り伏せ、竜の如く誇り高くあること。
己の信念、誓いを突き通すこと。

それらは総て、ただただ強くある為だけに。

遥か頂点のみを目指すその熾烈な生き様。
人間には決して出来ないような苛烈な道を歩むお前。


闘神。軍神。はたまた死神。
俺には人間じゃない何か別の生き物―――そう、本当に神化身の様に思えた。


どれだけ手を伸ばしても決して人の手の届かない高みを歩むお前に、正直俺は憧れてた。
よく反発もしたし、抵抗もした。
いや、それは今もだが。

血みどろの汚れた道を進みながらも誇り高くあり続けるお前。
そう、憧れ。

最初は確かに純粋に、憧れだけだった。






絶えることなく続いた<クドゥー>の詠唱が途切れた。
型に入ったのだろう。






ジオルグ事務所に入っていくらか経った頃、ギギナが<クドゥー>を唄うのを見た。



その日も普段通りに未決済の書類を溜めた所長にまたクエロがキレた。
そして所長と俺の間の恒例行事、希望溢れる己の明日を、つまり相手の黒 焦げの焼死体を賭けた愉快な掛札遊びもまた始まった。
そして俺は見事、未決済書類を明日の朝までに仕上げるという景品を得た。
その量実にダンボール二箱分。

所長の仕事をなんで一所員の俺が処理しなくてはならないのか。
しかし賭けは賭け。
溜息をつきつつ、俺は書類の山と向かい合う。


するとその夜、何故かギギナも事務所に居残った。
賭けに参加していた訳でもないのに、だ。
だが俺が残業をしている横で特に手伝いもせずに、 ずっと家具を磨いていたから断じて俺を気遣った訳はない。

俺は黙々と書類に目を通し、ギギナは黙々と家具を磨いていた。






そろそろ型をなぞるのも終わる頃合。
空になった陶杯の中で珈琲が乾いている。






気が付いたら朝だった。
何時の間にか寝てしまったらしい。
書類は何とか片付いていたのでまぁ良かった。

まだ眠い瞼を持ち上げ室内を見渡し感じたのは違和感。
あの銀髪がいない。


「何―――……声…?」


閑散とする事務所内にどこからか声が響いてくる。
…屋上、だろうか?
座っていたソファからゆっくりと体を起こし、俺はその声を追って部屋を出た。


行き着く先はやはり屋上で、声の主はやはりギギナ。
戦闘時でもないのに巨大なネレトーを掲げ、何か詩のような言葉の羅列を紡いでいる。


「何か用か?」


ぼうっとその様子を眺めていた俺に珍しくもギギナの方から声を掛けてきた。
振り返る銀髪が跳ね返す光が眩しく俺は目を細める。


「……何、やってたんだ?」


問い掛けるギギナの声は静かで優しい―――とまでは言えないけれど、 少なくとも普段の敵意や剣呑さは含まれていなかった。
だから俺は素直に思ったことを口に尋ねたのかもしれない。


「……<クドゥー>」
「<クドゥー>?」


初めて聞く単語。


「ドラッケン族の礼拝儀式だ」
「…それ、毎朝やってんの?」
「応」
「ふーん…」


戦闘と家具と咒式具しか頭に無いと思っていたギギナにも日課とする行為があったらしい。意外。


「……<竜>と狩った後は彼らへの敬意を表しより丁寧に執り行い、 その誇り高き闘争の始終を先祖へと報告する」


黙り込んだ俺にギギナの自主的補足説明。
こんなに喋るギギナは新鮮。
今日は雨どころかもっととんでもない何かが降るんじゃなかろうか。


「…俺がここにいたら、気が散ったりする?」
「…別に」


そっけない返事だけを返しギギナはまたさっきの―――<クドゥー>を始めた。


ギギナが舞う毎に反射する朝日は相変わらず眩しく、俺は手を掲げ傘を作る。
そこで初めて俺は、どういう訳か自分が知覚眼鏡をしていなかったことに気が付いた。






ガキン、と床にネレトーを突き立てる音がした。
<クドゥー>が終わりに近づく。






己の一族に、そして敬愛する敵である<竜>に捧げるその祝詞。
戦闘の賛辞を唄いながら、屠竜刀を振り優雅に舞い踊るその光景は絶世。
この世の者では到底ありえないような、人ではなくもっと高貴な―――そう、神が舞っているような。
そんな光景なんだろう。


でも俺にはその時のギギナがどうしようもなく人に見えた。


確かに姿は人間離れしていて完璧に完全に綺麗だと思う。
でも何かに祈りを捧げるなんて愚かな人間のやることだ。
己の非力を嘆き、叶いもしない願いの為に自分以外の何かに縋る。

戦場において、己の人生総てにおいて勇猛を掲げ血を求め誇りに生きるドラッケン族。
持ち合わせる語術は言葉ではなく、己の誇りと剣の散らす火花の熱。

そんな彼らにとって不確かで虚しいものでしかないはずの言葉を紡ぎ、たとえ自分たち一族の神であろうと先祖であろうとも、 祈りを捧げるその姿に彼らも―――そう、ギギナも。

やはり人間なのだという当たり前のことを改めて知った。






屋上からは既に何の物音も、ギギナの歩く音すら伝わらない。
<クドゥー>が終わったようだ。






ギギナは静かにネレトーを畳む。


「終わり?」
「そうだが」


なんだ、終わりなのか。
もう少しぐらい見ていたかった気がしないでもないが、まぁ仕方ない。


「破壊が習性、猟奇的殺戮が趣味のギギナにも日課なんてまともな習慣があったんだな。
それともそれもやっぱドラッケンの血が成せる業か?」


眠気が覚めて現状を鑑みた俺はまじまじとギギナを眺めていたこと、そしてもう少し見たかったなんて 考えてしまったことが恥ずかしくなって誤魔化すようにそう口走る。

その言葉にギギナは俺を一瞥しただけで特に反応せず、悠然とこちらに歩み俺の横を通り過ぎるその時。


「―――半分だけだがな」


そう、呟いた。

結論だけの唐突な言葉。
それが一体何のことを言っているのか分からなかった。

そして意味を理解し振り返った頃には、既にギギナの姿はなかった。






直にガチャリ、という音と共にギギナの顔があのドアから覗くだろう。
俺に借金と借金と借金しか齎さない、俺にとっての不幸の顔が。


ギギナと出逢ってしまってからもう3年。


ギギナの行動は相変わらず神憑り的に意味不明。
戦闘におけるその身体能力においても、日常生活におけるあの社会能力の皆無さにおいても。
あれで現代社会法治国家で生きていける意味が分からない。
やっぱりあいつは人間じゃないと思う。


そして強さを求め、誇り高くあろうとするあの生き方も変わらない。
アイツが死に急いでいるわけでも己の命を軽んじているのでもないのはわかっている。
しかし結果はそういうことだ。


闘う度に、強くなるにつれて、ギギナが遠い存在になっていく気がしてならない。
俺の周りの人間は総てどこかに去って逝くから。

それこそ本当に、そのうち神にでもなるんじゃないかと思う。


ギギナが俺の前から消えることに。
ギギナが俺の手の届かない所に往くことに。

日増し恐怖に似たざわめきを覚える自分がいる。




ギギナの<クドゥー>を見てから3年。

あの時はもう少し、もっと聞いていたいと思った。
理由は分からないけど確かにそう思った。
聞き慣れた今日となっては、もう忌々しく喧しいものとしてしか俺の耳には届かないが。


でも、嫌いではない。


ギギナが唄い舞う<クドゥー>。
それは相変わらず神秘的で人間離れしていて、しかし祈りを捧げるその美貌はどこまでも間違いなく人のもので。


だから、嫌いではない。


<クドゥー>が響く度に、ギギナがまだここにいるとわかるから。
どれだけ強くなろうとも、何かに祈りを捧げる内は、未だギギナは愚かな人間であるから。

それは何かに縋らずにいられない、弱い俺の気休めなのかもしれないけれど。


<クドゥー>を聞けば、まだギギナはここにいるのだ、と。
そう、思える。


そう、嫌いでは、ない。


祝詞を紡ぐギギナの鋼の美声はどこまでも人間離れしていて、しかしそれはどこまでも人間染みて俺の耳に届く。
きっとこれからも。


―――それは俺の祈りなのかもしれない。





ガユスの手の届かない高みを歩むギギナにも、 何か人間染みたところを見つけたかった管理人の私欲の産物。
結果只々の謎話に。補足書こうかな。(消化不良)


2005.5.16  わたぐも